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【1975年6月】心のこり/“つかみ”はOK!“札幌の森進一”こと細川たかしデビュー

[ 2011年6月25日 06:00 ]

75年、多くの新人賞を受賞した細川たかし(前列右)。左は賞獲りレースで火花を散らした岩崎宏美
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 ★75年6月ランキング★
1 シクラメンのかほり/布施明
2 港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ/ダウン・タウン・ブギウギ・バンド
3 恋の暴走/西城秀樹
4 十七の夏/桜田淳子
5 夏ひらく青春/山口百恵
6 いつか街で会えたなら/中村雅俊
7 心のこり/細川たかし
8 哀しみが終わるとき/野口五郎
9 巴里にひとり/沢田研二
10 昭和枯れすゝき/さくらと一郎
注目僕にまかせてください/クラフト
※ランキングは当時のレコード売り上げ、有線放送、ラジオ、テレビのベストテン番組などの順位を参考に、話題性を加味してスポニチアネックスが独自に決定。

【心のこり/細川たかし】

 歌の出だし、いわゆる“つかみ”のインパクトが北海道から出てきた新人歌手の運命を決めたと言っても過言ではない。

 札幌・ススキノで7年間クラブ歌手として歌っていた、“札幌の森進一”こと細川たかしのデビュー曲「心のこり」は「私ばかよね~」のつかみがお年寄りから子供まで広がり、レコード売り上げ80万枚を記録。中村泰士作曲のポップス調の曲も、演歌を感じさせず、幅広い世代に支持される要因となった。

 当初タイトルは歌詞そのままの「私ばかよね」だった。しかし、印象付けることはできるが、イメージが悪いということになり、担当ディレクターが頭に浮かんだ「心のこり」をタイトルに変更となった。

 札幌でスカウトされた当時、細川はススキのでは売れっ子で多い時で月収60万円超の収入があった。「レコードを出してみないか」という誘いは魅力的だったが、その前年に結婚し、子供まで生まれていたことを考えると、上京して勝負をかけるにはリスクが大きすぎた。

 それでも好きな歌をプロとして歌えるならと、妻子を札幌に置いてデビュー。当初、レコード会社の戦略で独身というふれ込みだったが、週刊誌が妻子のいることを書くと一時話題となった。

 月収は新人で事務所社長宅に住むということから8万円と激減したが、それでも連日のようにテレビに映り、歌を歌える喜びには代え難いものがあった。

 同じ年にデビューした岩崎宏美と、あらゆる新人賞レースで激突したが、日本レコード大賞をはじめ、最優秀新人賞はほとんど細川が獲得。後にレコード大賞を受賞した「北酒場」(82年)のレコード売り上げ78万枚よりもわずか2万枚だが、「心のこり」のセールス数が多かったことはあまり知られていない。

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