菊水丸店主 珍宝堂

まだまだ遠い…新喜劇立役者の存在

[ 2019年6月5日 16:18 ]

1984年(昭59)12月、進兄さんのサインが入った旧なんば花月のポスター
Photo By 提供写真

 私が河内音頭取りとして、吉本興業の旧なんば花月で初舞台を踏んだのが、1980年(昭55)8月。その頃の吉本新喜劇の立役者・木村進兄さんが、5月19日にお亡くなりになりました。
 お父さんが初代博多淡海。サラブレッドの二枚目として人気を博しておられた進兄さんとの接点は、新入りのお仕事である楽屋の電話番をしている時。昼食の出前の注文を頼まれ、新喜劇の楽屋へ運んだのです。すると、お歴々がマージャンに興じておられました。驚いたのは、次回の「吉本新喜劇」の台本に加えて、「あっちこっち丁稚」「吉本コメディ」「花の駐在さん」のテレビ台本を同時にめくりながらマージャンを打ち、ラーメンを食べ終わった進兄さん。直後の稽古場でのリハーサルでは、台本は持たず、全てのセリフが頭に入っているのです。また、人の動きまでも覚えてはり、17歳の私は、こんな世界でやっていけるのだろうか…と、衝撃を受けました。あれから39年、まだまだその域には程遠い私…。進兄さんのご冥福をお祈り致します。
   (河内家菊水丸)

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