菊水丸店主 珍宝堂

ひ孫弟子・玉鷲関が優勝 故片男波嶽太郎親方も喜んでいるはず

[ 2019年2月6日 11:45 ]

小学6年生の菊水丸は片男波部屋の宿舎に毎日通っていました
Photo By 提供写真

 大相撲に興味を抱きはじめた小学6年生の時、偶然にも住んでいた大阪府八尾市東本町のお屋敷に片男波部屋が宿舎を構えたのです。これには理由がありまして、毎年の滞在先の大阪市平野区上町の慧光寺が改築のために当時の元関脇玉乃海、片男波嶽太郎親方の女将さんの故郷に間借りをしたとのこと。女将さんは浪曲師の岡本白梅。漫才に転向して京はる子と改名。五条家菊二師匠とコンビを組んで、道頓堀の角座にも立っておられたお方です。

 私は毎日、自転車で10分ほどの稽古場へ通いました。関取は、玉ノ富士関と玉輝山関の2人。見学者は私1人。そのうちに親方に顔を覚えていただき、言葉を交わすようになると、喫茶店や寿司屋さんへ連れて行ってくださいました。

 その折に「4年前、横綱玉の海が亡くなるまでは、報道陣やファンがたくさん来てくれたんだよ…」とポツリとつぶやかれた言葉が今でもハッキリと耳に残っています。

 時は流れて、平成最後の初場所。私自身は親交のある貴景勝関を応援していたのですが、玉鷲関が優勝。片男波部屋からは横綱玉の海以来48年ぶりと聞き、ひ孫弟子のパレードでの報道陣とファンのにぎわいに、信貴山のお墓に女将さんと共に眠る嶽太郎親方もさぞかし喜んではるやろなぁ…と思った次第です。(河内家菊水丸)

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