菊水丸店主 珍宝堂

関脇・旭国の「出待ち」から始まったスポニチとの縁 48年前のお宝写真が日の目を見ることに

[ 2024年4月3日 11:00 ]

横綱・北の湖の横に写る若き日の自分を指さす筆者

 【菊水丸店主 珍宝堂】さて、この連載もリニューアルされ、今後は月イチでの掲載となります。その初回の記念として、河内家菊水丸とスポーツニッポンとの深いご縁について書いておきたいと思います。

 私がスポニチの1面を飾ったのは、今から48年前、1976年(昭51)3月27日。13日目で大関昇進を確実とした関脇・旭国が支度部屋を出てきたところをファンに祝福される場面。現在でいう“出待ち”です。ほら、左からガッチリと旭国の手を握っている男前が中学1年生の私でおま。

 京都府南山城村の自宅地下資料室に保管する大量の新聞・スクラップ帳の最初のページは、大隅記者によるこの署名記事の切り抜きから始まってます。この写り込みは偶然ではなく、相撲少年として各スポーツ紙の場所中の記事のチェックから、千秋楽を待たずに優勝、あるいは大関と横綱への昇進が決まった力士が支度部屋前でファンにもみくちゃにされる写真が掲載されることが多いことに着目した結果です。

 翌年、77年(昭52)も、14日目で横綱・北の湖が8回目の優勝を決めたので、支度部屋の出口に待機。北の湖が出てきた時に、注意すべきは後ろに回ると巨体に隠れてしまうので、とにかく横にへばりつくこと。当時の対戦相手が北の湖攻略に立てた作戦と全く同じ。見事に成功を収めました。

 今回、この2枚をニュープリントで見たいとリクエストしましたところ、残念ながら写真部の保管庫には現存しませんでした。が、しかし、紙面には使われなかった北の湖の横にへばりつく中学2年生の私の勇姿が発掘されたのです。まさに珍宝。48年前、子供心に起こした行動をスポーツニッポンが記録して、まさか48年後にスポニチの紙面に連載ネタとして活用できるとは、想像もしませんでしたなぁ。 (河内家菊水丸)

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