【アニ漫研究部】アニメ40周年「パタリロ!」魔夜峰央氏「気づけば遠くまで…よくアレをテレビで」

[ 2022年10月22日 10:00 ]

「パタリロ!」ファンの中でも“名作回”と評判の「FLY ME TO THE MOON」の24ページ目と最終ページ(c)魔夜峰央/白泉社
Photo By 提供写真

 人気漫画の作者やアニメの声優に作品の魅力などを聞く「アニ漫研究部」。今回はアニメ化40周年を迎えた「パタリロ!」の魔夜峰央氏です。原作漫画は来年45周年とメモリアル続き。“少女漫画No・1長寿漫画”となった同作と、魔夜氏の作家人生を前後編の2回でお伝えします。

 アニメ「パタリロ!」は1982~83年、ゴールデンタイムに放送された。主人公は、架空の国「マリネラ王国」の少年国王パタリロ。科学にオカルト、世界情勢まで盛り込まれた一見シリアスな設定で、美麗なキャラクターが揃う中、ギャグが飛び交う物語は、少女漫画の枠を超えて多くの人に楽しまれた。劇中でパタリロが踊り、エンディング曲にもなった「クックロビン音頭」は子供たちの間で流行した。

 「SFは好きでよく読んでいましたし、KGBなど各国の情報機関なども興味があって調べてました。知ってることは何でも入れたくなるので、どんどん入れていったら節操のない漫画になった。妖怪・宝石・落語など私の好きなものが全部入った何でもありな漫画です」

 英国情報局秘密情報部(MI6)の凄腕エージェント、バンコランと、元暗殺者の美少年マライヒら、美しい男性キャラクター同士の恋愛模様も描かれた。

 「よくアレをゴールデンタイムに流したな、とも思いました(笑い)。今じゃ絶対ムリでしょう。子供たちの中には、マライヒを女性と思っていた子も多かったようですね」

 テレビの前の子どもたちを驚かせた「パタリロ!」。現在につながる「ボーイズラブ」の元祖とも言われている。

 「私は元祖じゃない。『ポーの一族』の萩尾望都さんや『風と木の詩』の竹宮恵子さんら2大巨頭が切り開いた少年愛の世界に乗っかって(笑い)…いや乗っかろうとしたわけじゃないけどね。私は、女性を描くのが非常に苦手だった。でも男の子の体を持つ女の子なら描けるかと思った。だから私の場合は、純粋な意味での少年愛じゃないけど、私にとって描きやすい方向性だった。だから今も続いている」

 マライヒは後に、バンコランとの子供を身ごもり、出産している。

 「私の描く美少年は男の子の体を持った女の子。バンコランに対するマライヒは完全に世話女房。妊娠しても不思議はない…くらいの感覚です。夫婦なら当然の、愛が発展した先にある形」

 読者は驚いたことと思われるが…
 「読者の反応?さあ…もう何やっても驚かないんじゃないですか?でも、調べてみたら、男性が“出産”したという話もあるようですよ。その男性は元々は双子の兄弟だったんたけど、生まれてこなかった兄弟がお腹の中に残っていて、何かの拍子に大きくなって取り出して“出産”という形になったという話だった。だからマライヒが妊娠しても、何でもありでいいんじゃないですか」

 漫画連載は1978年に「花とゆめ」(白泉社)でスタート。来年45周年を迎える。

 「気が付いたら結構遠くまで来ていたなという感じ。私は振り返らないんです。前しか見ていない。毎日一歩、歩けないなら半歩、それもダメなら3分の1歩でも前へ進むという感じでやってきた」

 歩き続けた半世紀。積み重ねてきた「パタリロ!」の単行本は104巻となった。少女漫画は月刊誌が中心で、週刊誌が多い少年漫画に比べれば単行本の巻数は伸ばしにくい。3ケタ到達は「あさりちゃん」(室山まゆみ氏)の100巻と「パタリロ!」の2作しかない。

 「少女漫画も長く続いているものはあります。『エロイカより愛をこめて』や『王家の紋章』『ガラスの仮面』などは『パタリロ!』より歴史がある。少年漫画はスパッと辞める傾向があるようですが、少女漫画は、休載を挟むなどして続いている」

 「パタリロ!」も完結を意識したことがあった。「花とゆめ」から「別冊花とゆめ」に移籍を打診された90年のことだった。

 「実際はそんなこと全くないんだけど“2軍落ち”を宣告されたように感じて、これを機にやめちゃおうかなと考えました。パタリロをロケットで太陽に突っ込ませて『鉄腕アトム』のような終わり方を考えて途中まで描いていた。でも最後の最後に、終わらせるのはもったいないと思い、宇宙人に助けられる展開にした。一時の気の迷いでした」

 完結をギリギリで回避できたのは、魔夜氏独特の手法のなせるわざだ。多くの漫画家は漫画制作の際、まずストーリーを考えた上で、「ネーム」と呼ばれるコマ割りや登場人物の配置、セリフなどを描き込んだ下書きを描く。だが魔夜氏は「ネームは作らない」という。

 「最初は『パタリロ!』もサーッと一発で描いたものを担当編集の方に見せてました。でも、そのネームを直されることもなく、1年くらいしたら“君は最初のネームと出来上がりの原稿が同じだから、見なくてもいい”と言われた。それから描かなくなりました」

 ネームを作らず、描きながらストーリーを考えるのが魔夜峰央流。

 「思いついたまま、1ページ1ページ描いてます。例えば最初の何ページかギャグをやり…雪が降り出したとする。そしたら雪の話にしようか…雪だるまの話にして…雪だるまの恩返しにするかなどと描きながら話を作っていきます。だからラストがどうなるか自分でも全くわからないんです」

 だが、そんな流儀を曲げてネームを描いた回もある。

 「『FLY ME TO THE MOON』と『忠誠の木』は描きました」

 ともに、ファンの間で「名作回」と評判のエピソードだ。

 「どちらも感動もので、読者を泣かせてやろうと思って描いた。『FLY ME…』はストーリーを作るのに3日掛けた。私としては非常に珍しい。どうすれば人を泣かせられるか分からなかったので、頭の中でいろんなストーリーを組み立て、壊して、組み立てて壊して…を100回以上繰り返して、あるストーリーを思いついたときに自分自身ウルっときた。それが『FLY ME』。もう、ああいうことはやりたくない」

 ちなみに、担当編集者によると「月刊の32ページの漫画制作で3日は異常に早い」という。

 2017年からは漫画サイト「マンガPark」で連載中。

 「紙でもウェブ(アプリ)でも、描き手としては全く変わらない。締め切りが紙より融通が利くようになったのはいい。昨年暮れに体調を崩して、少し休んでいるが、今は体も良くなり以前より健康なくらい。気力がもう少し戻ったら、また頑張りますよ」

 次週は、来年50周年を迎える漫画家人生について語ってもらいます。

 ◆魔夜峰央(まや・みねお、本名山田峰央=やまだ・みねお)1953年(昭28)3月4日生まれ、新潟市出身。大阪芸大を中退し73年、「見知らぬ訪問者」でデビュー。78年、「パタリロ!」連載開始。82年にフジテレビでアニメ化。99年、第28回日本漫画家協会賞優秀賞を受賞。2016年に舞台化され、これまでに4度上演されている。主な代表作に、映画化もされた「翔んで埼玉」や「ラシャーヌ!」など。

続きを表示

2022年10月22日のニュース