山下達郎「人生最大」の分岐点、あの時違う選択していたら「120%ミュージシャンになっていない」

[ 2022年2月13日 16:16 ]

木村拓哉アルバム「Next Destination」>収録曲「MOJO DRIVE」の作曲を担当した山下達郎
Photo By 提供写真

 シンガー・ソングライターの山下達郎(69)が13日放送のTOKYO FM「木村拓哉 Flow」(日曜前11・30)にゲスト出演し、「人生最大のターニングポイント」について語った。

 番組パーソナリティを務める木村拓哉から「子どものころはどんな感じだったんですか?」と問われた山下は、「ガリ勉の優等生です」と返答した。小学6年のころ、学校での一コマ。「鼓笛隊のメンバーのオーディション」が行われたそう。先生が黒板に譜面を書き、小太鼓で「これを叩け」と指示した。男子生徒で叩けたのは山下だけ。「『あなた鼓笛隊やりなさい』って。女の子9人に男の子1人という鼓笛隊に入れられて。それで僕、小学校6年の時に生まれて初めてドラムを習って」と振り返った。

 中学1年の時に「一番人生の最大のターニングポイントだった」という出来事が。入学して部活動を決める際、もともと天文学などに興味があったため科学部に入部することを考えていたとし、「でも小太鼓もいいなって。ブラスバンド部にしようか科学部にしようかで、初めに科学部って書いたんです」。山下は当時、一番後ろの席に座っていたと説明し、「紙を集めるじゃない、答案用紙とか。僕一番後ろだったから集めていたら、前の2人が『ブラスバンド』って書いていて。自分の席に戻って科学部を消してブラバンって書いたの」と明かした。

 木村は「人のやつを見て!?」とビックリだ。「そうそう」と応じた山下は、「こんなにいるんだったら、ブラバンいいかなって思って行ったんだよ」と語った。しかし「ホームルームが終わって音楽室に行ったら、僕のクラスで僕のほかにブラバンって(書いたのは)その2人だけだった」と告白、懐かしそうに笑った。 中学でブラスバンド部を選んだこと。これが人生の分岐点だった位置付け、「あの時、科学部って書いていたら120%ミュージシャンになっていない。今ここにもいない?いない。それだけは確か」とした。その後、音楽にハマっていったといい、「パーカッションにのめり込んで。中高ずっとブラバンでずっとドラムやっていましたから」と話していた。

続きを表示

2022年2月13日のニュース