石原慎太郎さん 戒名に「海」「陽」「文」「政」…4兄弟が棺持ち最後の別れ

[ 2022年2月6日 05:30 ]

 東京都知事と衆院議員を務めた作家で、1日に89歳で亡くなった石原慎太郎さんの葬儀・告別式が5日午後、都内の自宅で営まれた。家族らによる密葬で、喪主を務めた元衆院議員で長男の伸晃氏(64)はじめ兄弟4人、その子供ら約20人が参列した。

 伸晃氏らが棺を持って玄関を出たのは午後3時すぎ。慎太郎さんを乗せた霊きゅう車は、小雪が時折舞う中、住み慣れた自宅を後にした。見送る人たちから「先生、ありがとうございましたー!」と声が上がると、兄弟4人は深々と頭を下げた。その後、伸晃氏があいさつ。「生前、父に賜りましたご厚情に心を込めまして感謝申し上げ、ごあいさつとさせていただきます。本日は誠にありがとうございました」と、声を震わせながら話した。

 関係者によると、棺には慎太郎さんの著書「私の海の地図」(2015年)が納められた。慎太郎さんが、海の魅力やヨットレースでの体験などをつづったエッセー集で、自他共に認める「海の男」らしい一冊。供花とともに、出版関係者の手で棺に入れられた。

 戒名は、その「海」から始まる「海陽院文政慎栄居士(かいよういんぶんせいしんえいこじ)」。芥川賞を受賞した「太陽の季節」を思わせる「陽」、生涯をささげた文学の「文」と政治の「政」、そして名前から「慎」の字が入れられた。秘書の男性によると、晩年の慎太郎さんは、神奈川県逗子市の菩提(ぼだい)寺、海宝院にある墓に「必ず“青嵐報国”と刻んでくれ」と周囲に何度も念押ししていたという。

 1973年に「青嵐会」を結成。自主憲法制定などを掲げた慎太郎さん。「混沌(こんとん)、停滞した政界に爽やかな風を送り込もう」との思いで自ら命名したとされ、最期まで国の行く末を案じ続け、逝った。秘書は「青嵐会への思いは今も強く、墓石には一番いい時代を刻みたいという思いがあったのでしょう」としのんだ。

 お別れの会は、新型コロナウイルスの収束をみながら、5月以降の開催を想定しているという。

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2022年2月6日のニュース