ストロング小林さん死去 覆面、日本人対決、タレント転向…プロレスの隆盛を築いたパイオニア

[ 2022年1月6日 22:57 ]

東映「伊賀忍法帖」出演で断髪するストロング小林さん(中央)、後方左は渡辺典子、同右は真田広之(82年撮影)
Photo By スポニチ

 昨年12月31日に都内で死亡していたことが分かった元プロレスラーのストロング小林さん(享年81、本名・小林省三)がプロレス界に残した「足跡」は大きい。

 小林さんは国鉄(現JR)勤務中にスカウトされ、1966年に国際プロレスへ入団。翌67年には日本人初の覆面レスラー「覆面太郎」でデビューした。覆面といえば、当時は力道山のライバルとして知られたザ・デストロイヤー(故人)の代名詞。悪役のイメージが強かった。小林さんがマスクを被ったことで抵抗感は薄れ、後のタイガー・マスクや獣神サンダーライガーら、日本人覆面アイドルレスラーが出現する流れを作った。

 素顔に戻り、同団体のエースとして君臨した小林さんにとって、人生最高の名勝負が74年3月のアントニオ猪木戦。国際と新日本のエース対決は、当時タブーとされていた日本人対決の側面も持っていた。蔵前国技館を熱くした一戦は、猪木の原爆固めに小林さんが屈して決着。日本人(善)と外国人(悪)が戦う力道山時代の図式は崩れ、後の藤波VS長州、鶴田VS天龍につながっていく新たな潮流はこの戦いから生まれた。

 小林さんは84年に引退後、芸能界に転身。「ストロング金剛」の芸名で、いかつい風貌を生かして映画やドラマ、バラエティー番組などで活躍。TBS「痛快なりゆき番組 風雲!たけし城」では、少しユーモラスな悪役で、お茶の間の人気者になった。現在では珍しくないプロレスラー出身タレントの先駆けだった。

 ストロング小林 1940年(昭15)12月25日生まれ、東京都本郷出身。戦時中に現在の青梅市に疎開し、同市で育った。力道山に憧れてボディービルを始め、プロレスラーに転向。得意技はアトミックドロップ、逆エビ固めなど。1984年8月26日に現役引退後、「ストロング金剛」として芸能活動を開始。映画「塀の中の懲りない面々」(87年)、NHK大河ドラマ「太平記」(91年)などに出演。TBS「痛快なりゆき番組 風雲!たけし城」(86年)では悪役として参加者を追い回し恐れられた。

続きを表示

この記事のフォト

2022年1月6日のニュース