薬丸裕英 亡き父がコンサート会場で取っていた仰天行動に驚き「絡まっていた糸がほどけたよう」

[ 2021年11月23日 21:36 ]

薬丸裕英
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 タレント薬丸裕英(55)が、23日放送のNHK総合「ファミリーヒストリー」(火曜後7・30)にゲスト出演し、亡き父の知られざる一面に驚く場面があった。

 薬丸によると、昨年、死去した父・正英さんは寡黙な性格。「言葉数が少ない父で、イメージしていた中で一番いい表現で言えば、昭和のがんこ親父。ほとんど父と時間をともした記憶ないですね」という。仕事に明け暮れ、クリスマスの外食も父がいた記憶がないという。

 薬丸の記憶では、性格も正反対。「内気だったですね。言葉数が少なかったですからね。僕は目立ちたがり屋。父はそうではなかったですね」。ところが、父の少年時代を知る元同級生たちによると、「梅木があって、実があったら石を投げたり枝を下ろして。塩を付けた食べたり」、「キュウリが植えてあったら、塩だけ持って行って、もいで塩付けて食べてた」と、やんちゃだったという証言が次々と挙がった。

 そんな父の性格が激変したのが、中学3年の時。裕英の祖父に当たる父・正徳さんが急逝したことがきっかけだった。喪失感に苦しんだ正英さんは、同級生とのお別れ旅行で、当時の流行歌だった「東京やんちゃ娘」をみんなで歌いたいと提案。少年時代の良き思い出を作り、その後は一家の主体となるために勉学に励み、高校卒業とともに就職するなど、一気に大人びていったという。

 一方の薬丸は、中学でジャニーズ事務所に入り、82年に「シブがき隊」でレコードデビュー。すると、正英さんは意外な行動を取り始めたという。薬丸のコンサート会場に行っては、カメラを片手に薬丸を撮影。警備員に止められてもやめなかったという。薬丸の母・良子さんの元には、当時の写真が300枚以上ある。薬丸は「知らなかったですね」とつぶやいた。

 生前は知ることのできなかった父の仰天行動に、薬丸は「家庭を顧みず、今まで自分は何もすることができなかったから、今からできることは何だろうと考えた時に、写真を残してあげようと思ってくれてたのか…。すごく頑張ってくれたんだな」と感謝。「自分のぐちゃぐちゃ絡まっていた糸がほどけたような気がした」と驚いていた。

 脳出血で倒れた後は、パソコンを覚えて同級生たちに手紙を送っていたという。かつての仲間からの返事に励まされる父の姿を想像してか、薬丸は涙ぐみながら「父はいい人生を送ったと思いますね」と語っていた。

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