瀬戸内寂聴さん 99歳で死去 情念のまま生き抜いた波瀾万丈の人生

[ 2021年11月12日 05:30 ]

法話を行う瀬戸内寂聴さん
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 「夏の終り」など人間の愛や業を描く小説や「源氏物語」の現代日本語訳などで知られ、文化勲章を受章した作家で天台宗の僧侶の瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう)さんが9日午前6時3分、心不全のため京都市内の病院で死去した。99歳。徳島県出身。葬儀は近親者のみで執り行い、後日都内でお別れの会を予定。不倫や出家など波瀾(はらん)万丈の人生を駆け抜け、生涯で400冊以上を執筆。芸能人から市井の人までさまざまな立場の人に寄り添い、説法を届け続けた。

 100歳を目前にした大往生だった。関係者によると、10月に体調を崩し、京都市内の病院に入院。週刊誌の連載は休載が続いたが、亡くなる2週間ほど前にはエッセーを執筆するほど体力が回復していたという。

 親しい知人は「最近も毎日晩酌していて日本酒なら1合、ビールやシャンパンも飲んでいた。足取りも軽く、歯も丈夫で2年ほど前までは好物のステーキをペロリと平らげていた。量は減ったが今でも好んで食べていた」と明かした。来年5月の誕生日まで半年あまりの訃報を「このまま無事に100歳を迎えると思っていた」と悼んだ。

 寂聴さんは1922年に徳島市で生を受けた。見合い結婚したが、不倫の末に50年に夫と正式に離婚。上京して本格的に小説家を目指した。57年に発表した「花芯」がポルノ小説と批判されたが、その後、不倫体験をつづった私小説的作品「夏の終り」が評価され63年に女流文学賞を受賞。文学的地位を確立し、人気作家となった。

 73年に岩手県平泉町の中尊寺で得度し、法名「寂聴」を名乗る。その後、本名も晴美から寂聴に改名。74年に京都・嵯峨野に居を構え「寂庵」と名付けた。出家しながらも飲酒や肉食を公言するなど世俗的な親しみやすさもあり、そこには多くの人が足を運んで救いを求めた。

 人生の苦楽を経験した寂聴さんの言葉は、社会的に追い込まれた芸能人や著名人の心を解きほぐした。大麻事件で逮捕された俳優萩原健一さん、角界と決別した元貴乃花親方、STAP細胞騒動の渦中にいた小保方晴子さんらもその一人だった。

 同所で自身の経験や幸せに生きる秘訣(ひけつ)を伝える青空説法には毎回全国から100人以上が集まった。中には自殺を考える人もいたが、説法が終わると皆が晴れやかな表情を浮かべた。親しい知人は「その場に魔法をかけたようだった」と回想する。

 87年には岩手県浄法寺町(現・二戸市)の天台寺の住職に就任し、05年まで務めた。98年にはライフワークとして取り組んだ「現代語訳 源氏物語」が完結。平易で流れるような文体が人気を博し、平成の源氏物語ブームの立役者となった。

 今年5月、自身のインスタグラムを更新し99歳の白寿を祝う様子を投稿した。「十分に生きた我が一生でした」「死にざまは考えません。自然に任せます」と死生観を語っていた。大正から令和まで4時代を駆け抜けた瀬戸内さん。太く長い天寿を全うした。

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2021年11月12日のニュース