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コロナ禍唯一の出演作「流行感冒」本木雅弘が再認識した“役者業”次回作は「意外性のあるオファー」期待

[ 2021年11月6日 08:00 ]

本木雅弘が主演を務める特集ドラマ「流行感冒」が地上波初放送(C)NHK
Photo By 提供写真

 俳優の本木雅弘(55)が主演を務め、今年4月にBSプレミアムで好評を博したNHKの特集ドラマ「流行感冒」が6日午後4時45分から総合テレビで放送される。令和3年度(第76回)「文化庁芸術祭」テレビ・ドラマ部門参加作品に選ばれ、地上波初放送が決定。コロナ禍の影響もあり、今作が昨年の大河ドラマ「麒麟がくる」以来1年ぶりの演技となった本木は「結局、自分には役者であることが重要、不可欠なことなのだと思います」と再認識。今後については「時には、いい意味で、いい加減な役どころを試してみるのも、ガス抜きというか、自身の幅を広げるためにはアリなのかなと思っています。例えが出ませんが、意外性のあるオファーをひそかに待っています」と明かした。

 原作は、今から約100年前に全世界を未知なる恐怖に陥れた「スペイン風邪(スペインインフルエンザ)」の流行をテーマにした“小説の神様”志賀直哉の同名短編小説。1919年(大正8年)に発表された。スペイン風邪は日本でも流行し、1918年(大正7年)から3年間で関東大震災の実に4倍に当たる約40万人の死者が出たという。当時と現代を重ね「今を生きる私たちへの希望と指針を与えるドラマとしたい」と制作。理性を失い、無闇に人間不信に陥った小説家の主人公・私(本木)が、人への信頼を取り戻し、日常に帰るまでの心理的な綾を描く。

 脚本は上演台本を手掛けた昨年9月の舞台「ゲルニカ」が“演劇界の芥川賞”と呼ばれる第65回岸田國士戯曲賞の最終候補作品に選ばれた劇作家の長田育恵氏、演出は連続テレビ小説「花子とアン」や「セカンドバージン」「永遠のニシパ~北海道と名付けた男 松浦武四郎~」などの柳川強氏が務めた。

 重苦しいタイトルとは裏腹に、ユーモラスな描写もあり、心温まる73分。「ギャラクシー賞」月間賞(4月度)を受賞。10月27日には「東京ドラマアウォード2021」の表彰式が行われ、単発ドラマ部門優秀賞に輝いた。

 本木は昨年の大河ドラマ「麒麟がくる」で“美濃のマムシ”こと戦国武将・斎藤道三役を“怪演”し、大反響。昨年1月に行われた「長良川の戦い」のロケに参加し、クランクアップした後、今作が1年ぶりの演技。コロナ禍の中、唯一の出演作となった。

 4月のBS放送時にオンラインインタビューした際、「先行きが不透明な中、作品にご迷惑もお掛けしたくないし、スケジュールのことで自分が右往左往するのも避けたかったので、しばらく“冬眠”するぐらいの気持ちで、お芝居の仕事は受けないつもりでいました」「東日本大震災の時と同じように自分なりに価値観を再構築しなければいけないということに心を奪われ、他愛のない家族の絆がいかにかけがえのないものかを痛感する日々でした。必ずしも役者という仕事がマストじゃないのかも、と。例えば、自分が働かなくなったら、家族の別の誰かがその役割を請け負うという選択肢があってもいいんじゃないか。それこそ、もしも妻がもっと表に出て働きたいということなら、自分はポンと引っ込んで主夫になってもいい。そういう想像も巡ったりしました」などとコロナ禍における俳優業との距離感を明かした。

 今回、地上波初放送にあたり、書面インタビューに応じた本木は「コロナ禍は、いまだ終息に至ってはいないものの、落ち着きを取り戻しつつある現在(いま)こそ、出来事を振り返り、ドラマが伝える『人間の危うさ』と『信頼することの大切さ』を、より切実にかみ締めることができるのではないかと思います。100年前と同じパンデミックの中、見えない恐怖と、つかみ切れない真実に翻弄される日々を経験し、誰もが自身の価値観と向き合わざるを得ない時間を過ごしながら、皆さんそれぞれに、これからの道を照らす希望について考えを巡らせたのではないかと思います」とBS放送から半年経った思いを吐露。

 「コロナ禍の中、表立った表現の場を失ったミュージシャン、役者たちが苦労をされた話をよく聞きましたが、私の場合は、演じる場が失われても、そのまま受け入れてしまい、『演じたい』という欲求が然程(さほど)に生まれなかったことに自分でも驚きました。自分の中には、真に演じたいという『心』も、演じていかねばという『使命感』もないのか、それで役者を続けられるのか?そんな迷いの中で舞い込んできたのが、この作品でした。演じることは、大体にして楽しめるような作業ではありません。毎回、個人の好みは置いておき、役の感情に寄り添うために、同化しようとしてみたり、客観的に引いてみたりを繰り返しながら、役柄との距離を詰めていく、大変地味な仕事です。今回、久しぶりに演じることと向き合い、あらためて実感したことは、やはり自分がこの社会とつながるために役者という仕事が必要だということ。自分の変わらぬ質(たち)なのですが、どこか優柔不断で流されやすく、同時に意固地な殻もあり、我ながら厄介だと思う神経回路を解きほぐしてくれるのが、『演じること』、つまり『他人の心に添うてみる』という体験を重ねることなのかもしれません。結局、自分には役者であることが重要、不可欠なことなのだと思います」と見つめ直した。

 近年は「亀のペース」で作品に参加しているが、今作の撮影から約11カ月、再び演技から離れたまま。次回作については「コロナ禍以前と以後でも、やはり演じるべき世界は変わらないと思います。元来、人間が抱えているどうしようもなさも、素晴らしさも変わらないからです。心の傷み、歪み、ひたむきさ、畏れ、脆さと再生能力、自意識と無意識、平和と祈り。人間として普遍的なテーマはいくらでもありますよね、今後も、その都度頂く役との出会いに興味を持って向き合いたいと思います。余談ですが、自分は不器用な故に無駄に根詰めてしまうところもあるので、時には、いい意味で、いい加減な役どころを試してみるのも、ガス抜きというか、自身の幅を広げるためにはアリなのかなと思っています。例えが出ませんが、意外性のあるオファーをひそかに待っています」。本木の新境地が待ち遠しい。

 【あらすじ】小説家の私(本木雅弘)は、妻の春子(安藤サクラ)と4歳の娘・左枝子(志水心音)、2人の女中・石(古川琴音)きみ(松田るか)とともに都心を離れた静かな村で暮らしている。最初の子を生後すぐに亡くしたせいで、娘の健康に対して臆病なほど神経質である。時は、大正7年(1918年)秋。流行感冒(スペイン風邪)が流行り、感染者が増え始める中、女中の石が、よりにもよって村人が大勢集まる旅役者の巡業公演を観に行ったのではないか、という疑惑が浮上する。私は石を問い詰めるが、石は行っていないと否定。疑念を拭えない私は石に厳しく当たり、左枝子に近づかないよう言いつけるが…。

 また「麒麟がくる」の池端俊策氏(75)が脚本を手掛け、本木が主演を務めた2001年のNHKドラマ「聖徳太子」が6日午後7時30分からBSプレミアムで放送される(90分×全2回、2本立て)。

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