高田文夫氏 ラジオ番組サイトで初ブログ 「人を喜ばせたいってことだよ」

[ 2021年10月20日 09:00 ]

ニッポン放送のスタジオでブログについて語った高田文夫氏
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 【牧 元一の孤人焦点】放送作家の高田文夫氏(73)が、パーソナリティーを務めるニッポン放送「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」(月~金、前11・30)の番組サイトで、初めてのブログ「おもひでコロコロ~バウバウ昼ズ篇~」を書き続けている。

 「これまで活字で商売して来たけど、素直に反応されるのはブログだね。街を歩いていても『ブログ読んでますよ』と言われる。現代の力を知ったよ」と高田氏は手応えを明かす。

 ブログは8月12日にスタート。自身の半生を振り返りつつ、交流のあった人々の魅力を伝えている。

 「自分のことは照れくさいから、これまで書かなかったんですよ。でも、これは『ただ』と聞いたので、それなら自分のことを書こうと思ってさ。キャリアが長くなって、次の人に伝えるために字にしておかないといけないと思った」

 例えば、昭和の時代に一世を風靡(ふうび)したコメディアン・三波伸介さんとの仕事の話。放送作家としてバラエティー番組「三波伸介凸凹大学校」(1977年~82年)に関わる中で、当時売り出し中だった漫才コンビ「ツービート」の出演を三波さんに持ちかけた話などを記している。

 「オレは、たけちゃん(ビートたけし)より前に売れてたんだよ。作家で裏方だから名前が出なかっただけでね。テレビの歴史の中で三波伸介さんがいかに偉大だったかということを、これを読んで初めて知った若い人も多いですよ」

 ブログには毎回、文章に合わせてさまざまな写真を掲載。三波さんの回には、高田氏の台本に三波さんが細かく書き込みをしている貴重な写真を載せている。

 「『こんな字を書く人だったんだ』とか『こんなふうに付き合ってたんだ』とか伝わるじゃないですか。台本は、捨てることを前提に書かれてるわけ。役者やコメディアンが読んで頭に入れて芝居をしたら終わりでしょ。それを大事に取っておくのがオレの凄いところだな(笑)。自分のことだから大事にしてたんだね。嵐寛寿郎さんとオレの名前が一緒に載ってる台本もある。動かぬ証拠だよね」

 三波さんが1976年から司会を務めたバラエティー番組「スターどっきり(秘)報告」で、寝起きドッキリが誕生したきっかけが高田氏のひと言だったという逸話もある。

 「子供心なんだよね。『百恵のパンツをどうやったら見られるか?』っていう。自分が面白いと思うもの、自分が見たいものをやるってことだよね。昔は自由で、発想さえあれば、みんな協力してくれた。そういうことを書いて残しておかないと、分からなくなっちゃうからね」

 このブログを読むと、テレビやラジオ、芸能界の本質も見えてくる。1981年に「ビートたけしのオールナイトニッポン」を始めてからのこと、83年に立川談志さんに弟子入りしてからのことなど、興味深い話が本格的に記されるのはこれからだ。

 「筆次第だね。大河じゃないけど、どこまで歴史を書けるか。談志との話を書き始めたら、それだけで本1冊になっちゃうからね。永六輔さんの話もある。オレ、心臓止まったんだから(笑)。それで、こんなに働かせられるとは…」

 心臓の病で生命の危機に陥ったのは2012年。それから約9年が経過し、現在は「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」の月曜と金曜に出演するなど、健康状態は良好の様子だ。

 「無理してやってるわけじゃない。ブログはお金をもらわずにやってるから、いいんじゃないかな。みんなが驚く顔が見たい。物事全てそれ。人を喜ばせたいってことだよ」

 高田氏のトークは楽しい。けれど、本業の文章の魅力は特別だ。ブログの次回が待ち遠しい。

 ◆牧 元一(まき・もとかず) 編集局デジタル編集部専門委員。芸能取材歴30年以上。現在は主にテレビやラジオを担当。

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