NHK「ふたりのディスタンス」 柔らかいドキュメンタリーの新しさ

[ 2021年8月19日 08:45 ]

NHK「ふたりのディスタンス」のキービジュアル(C)NHK
Photo By 提供写真

 【牧 元一の孤人焦点】変わりゆく世界の中で、新たなドキュメンタリー番組が誕生した。今月16日に放送されたNHK「ふたりのディスタンス」だ。

 同局は開発番組として制作。コロナ禍で人と人が疎遠になりがちな今、「2人」に焦点を当て、その距離感を見つめようという試みだ。初回は「伝説の家政婦」と言われるタサン志麻さんと、フランス出身で専業主夫のタサンロマンさんの夫婦を追った。

 「語り」を務める女優の新垣結衣をモノトーンで描いたイラストが映し出されて番組がスタート。主な撮影場所は、路地裏の築60年の家屋。何か事件が起きるわけではなく、淡々と夫婦の日常生活が流れていく。感じるのは、柔らかく温かな肌触り。NHKの既存のドキュメンタリーとは異なる雰囲気だ。

 この番組の制作統括は、チーフ・プロデューサーの荒川格氏と末次徹氏。2人はこれまで同局のドキュメンタリー番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」を手掛けてきた。

 荒川氏は「『プロフェッショナル』にとても愛着がある一方で、周りからは『敷居が高い』『正座して見なくちゃいけない気持ちになる』と言われた。ドキュメンタリーをもっと気楽に見ていただかなくてはいけない、もう少しリラックスして見ていただけるものを開発したいと考えた」と話す。

 末次氏も「今の時代は、押しつけがましいもの、説教くさいものに反応してもらえないという感覚があった。『見ると、ためになる』という強い感じや断定調の語り口はやめて、優しく語りかけるような、なんとなくボーッと見ていただけるような番組を作りたいと考えた」と語る。

 番組で焦点を当てる対象として最初に選んだのは、広く知られる有名人や芸能人ではなかった。

 荒川氏は「いろんな人を候補に挙げ、かなり考えた。『なんとなく知っている』『私生活を見てみたい』と思える人を選んだ。タサン志麻さんは『プロフェッショナル』で仕事面を取り上げさせてもらっていて、夫のロマンさんが素敵な人だと知っていたので、夫側の視点を入れれば、これまでにない何かを描けるのではないかと思った」と明かす。

 末次氏は「編成と相談した時、コンセプトとして挙がったのが『隣の白いシャツのような番組』だった。親子の葛藤、ガチガチのライバル、有名人夫婦では『白いシャツ』にならないと考えた」と付け加える。

 タサン家で計4週間にわたってロケ。最初の1週間はリビングに固定カメラ7、8台を設置し、無人の状態で昼夜を問わず録画。その後に本格的な撮影を行った。

 印象深かったのは、家の周りで見つけて飼い始めた青虫が蛹から蛾へと成長していく流れ。蛾の見た目は決して美しくはないが、志麻さんは最後に「蝶々じゃなくてもいい。人がどう見るかよりも、自分がどうありたいか、幸せかどうか」と自らの思いを語った。この一連の場面は、番組が2人を追い続けた時間を表すとともに、多様性を肯定する表現として秀逸だった。

 次回の放送は未定。取材対象の仕事ではなく、私生活に踏み込むドキュメンタリーだけに、制作していくのは大変だろう。

 末次氏は「2人の関係性や距離感は目に見えるものではない。しかし、それを映像化することができたら、深いところまで行ける」と番組の可能性を強調する。

 荒川氏も「描いたことがないものだからこそ、伝える意味がある」と話す。

 新機軸を打ち出した番組の新たな挑戦に期待する。

 ◆牧 元一(まき・もとかず) 編集局デジタル編集部専門委員。芸能取材歴30年以上。現在は主にテレビやラジオを担当。

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2021年8月19日のニュース