低迷ジャニーズ救った「たのきん」 トシちゃん、ヨッちゃんとマッチで火を付けた

[ 2021年5月1日 05:30 ]

◇近藤真彦の主な年表◇
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 30日にジャニーズ事務所退所を発表した近藤真彦(56)は1980年代前半に「たのきんトリオ」の一員として活躍し、空前のブームを巻き起こした。田原俊彦(60)、野村義男(56)らとTBS「3年B組金八先生」の第1シリーズの生徒役で人気に火が付き、三者三様の魅力でお茶の間に親しまれた。中でも近藤はヤンチャなイメージでファンから愛される存在だった。

 3人がドラマに出演したのは79年10月。当時ジャニーズ事務所は暗黒時代と呼べる状況だった。「新御三家」として人気絶頂だった郷ひろみ(65)が75年に退所。初期のジャニーズを支えた「フォーリーブス」も78年に解散したばかりだった。

 その中、すい星のごとく現れた3人。ドラマの放送とともに人気が爆発した。当時の金曜午後8時は日本テレビ「太陽にほえろ!」とテレビ朝日「ワールドプロレスリング」で人気を二分し、TBSは後塵(こうじん)を拝していたが、3人の人気とともに視聴率は上昇。最終回には関東地区で39・9%を記録し、逆転を果たした。当時を知る関係者は「3人の活躍により、ジャニーズが再び勢いを持つきっかけになった」と指摘する。

 やがて3人の頭文字を取って「たのきんトリオ」という名称が定着。バラエティー番組「たのきん全力投球!」で共演しつつも、おのおのが個性を生かしながら活動。3人そろって楽曲を出すこともない異例のグループ形態をとった。

 81年には後楽園球場でコンサートを実施。中高生を中心に5万人のファンで埋まり、入場できないにもかかわらず球場周辺にも約4万人が集まる熱狂ぶりだった。83年も同所でライブを予定していたが、警備上の観点からチケット完売後に急きょ中止になった。

 近藤は、3人の中で先陣を切って歌手デビューした田原と人気を二分する存在。音楽関係者は「当時のアイドルには珍しく、女性ファンだけでなく同性にも影響力があった」と指摘。側頭部を刈り上げ前髪を横に流す髪形は“マッチカット”として多くの男性がまねたほどだった。

 事務所の低迷期に屋台骨を支えた功績もあり、藤島メリー泰子氏の寵愛(ちょうあい)も一身に受けた。カーレーサーとしてのサイドビジネスを認められるなど、事務所の中でも特別な存在になっていった。

 トップアイドルだけに常に話題に事欠かなかった。87年に「日本レコード大賞」を受賞した際には、前年に事故死した母の遺骨が盗まれ、受賞辞退を迫られる悲劇も。89年には当時交際していた中森明菜(55)が近藤宅で自殺未遂を起こすという騒動もあった。ジャニーズ発展の歴史と共に歩んできた近藤。ついに事務所を離れ、その身一つで新たな人生に踏み出す。

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