橋田寿賀子さん 晩年は「熱海自然郷」で愛犬さくらと過ごす

[ 2021年4月5日 17:00 ]

脚本家の橋田寿賀子さん
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 NHK「おしん」「春日局」やTBS「渡る世間は鬼ばかり」など名作テレビドラマを数多く手掛けた脚本家で劇作家の橋田寿賀子(はしだ・すがこ、本名・岩崎寿賀子=いわさき・すがこ)さんが4日午前、急性リンパ腫のため静岡県熱海市の自宅で死去した。95歳。韓国ソウル生まれ。「橋田ファミリー」と呼ばれる俳優たちとの堅い結束でも知られた。

 日本女子大卒業後の1949年、松竹に入社。同社初の女性社員となった。脚本部所属となり、新藤兼人監督の手伝いなどを経験した後の52年に岸惠子(88)主演の「郷愁」(監督岩間鶴夫)で脚本家デビュー。59年に秘書への異動を告げられたのを機に松竹を退職し、フリーとなった。

 不遇の時期を経て、64年に香川京子(89)主演のTBS東芝日曜劇場「袋を渡せば」で再スタート。石井ふく子さん(94)とのコンビ第1弾ともなった。同年、大空真弓(80)と山本学(83)が共演した同劇場「愛と死をみつめて」が評判を呼び、ドラマ脚本家として高評価を得た。

 「大衆に受け入れられてこそ価値のある作品」がモットー。代表作の1つが83年4月4日からら84年3月31日まで放送されたNHK大河ドラマ「おしん」だ。83年11月12日に62・9%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)を記録、平均視聴率も52・6%(同)と驚異的な数字を弾き出した。海外での人気も高く、70近い国や地域で放送された。
 90年にTBSで始まった「渡る世間は鬼ばかり」も19年まで続き、後世に残る作品として橋田さんの名前を不朽のものとしている。長いセリフが特徴で、演出家や俳優による変更やアドリブは一切許さなかった。

 TBSの創立記念日の66年5月10日、当時TBSのプロデューサーだった岩崎嘉一氏と結婚。橋田さん41歳の誕生日でもあった。結婚式の仲人は石井ふく子さんが務めた。夫の岩崎氏は88年9月に肺腺がんと診断された。この時、橋田さんは翌年元日から始まるNHK大河「春日局」の脚本の依頼を受け、準備を進めていたが、看病しながらの執筆に自信をなくしていた橋田さんの背中を押したのが石井さんだった。

 岩崎氏は89年9月に死去。「不倫と人殺しの話は絶対書くな」が遺言で、橋田さんは頑なに守り続けた。ただし、見る方は好きだったようで、「相棒」や「科捜研の女」などのファンだった。

 「一流の脚本家は山田太一、倉本聰、向田邦子。私は二流」と謙遜するなど、控えめな人で、泉ピン子(73)ら多くの俳優たちから慕われ、橋田ファミリーを形成した。92年に亡夫の遺産などを元手に「橋田文化財団」を設立して理事長に就任し「橋田賞」を創設した。2020年は新型コロナウイルスの感染拡大により、セレモニーが中止になった。

 岩崎氏の晩年から別荘地として知られる「熱海自然郷」で暮らし、同所で愛犬の柴犬「さくら」とともに余生を送っていた。豪華客船での旅を趣味としていた。

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