V6 結成丸26年の11月1日で解散、森田剛の“挑戦申し出”きっかけ

[ 2021年3月13日 05:30 ]

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 V6が結成丸26年となる11月1日で解散することを12日、ジャニーズ事務所が発表した。メンバーの森田剛(42)も解散と同日付で事務所を退所する。2019年春ごろからデビュー25周年に向け6人で話し合う中、森田から「ジャニーズを離れた環境で役者としてチャレンジしたい」との申し出があり、他の5人も受け入れた。誰一人欠けることなく活動してきた模範グループの決断に驚きが広がった。

 1995年のデビューから26年。ここ数年ジャニーズを離れるタレントや、グループの解散、活動休止が相次ぐ中、コンスタントに活動し、堅実に事務所を支えてきたV6も姿を消すことになった。

 メンバーは解散を公式サイトで報告。「この決断は決して後ろ向きなものではなく、僕たちがより成長し、次のステップに進むためのものです」と説明。「V6を愛してくれてありがとうございました。見守ってくれてありがとうございました。まだまだ、僕たち6人にしかできないことを追求していきます」と絆を強調した。

 解散のきっかけは森田の申し出だったが、それより昨年11月に岡田准一が40歳になったことで全員が40代となったことも大きい。ジャニーズ事務所は「人生の半分以上をV6として過ごしてきた結果、(25周年の)節目は、人生そのものと向き合うことを意味しておりました」とタイミングが重なったことを強調。メンバーには「この6人でなければV6ではない」との思いも一貫してあったという。

 今後、森田は個人事務所を立ち上げ1人で活動する。岡田、坂本昌行(49)、長野博(48)、井ノ原快彦(44)、三宅健(41)はジャニーズに残留。グループ内の年長3人によるユニット「20th Century(トニセン)」は存続し、年少3人の「Coming Century(カミセン)」はV6の解散と同時に活動を終了する。

 これまで同じ顔触れで歩み順風満帆に見えるが、そうではなかった。「男だけの集まりですから、ぶつかり合うこともありましたし、会話がなくなることも多々ありました」と振り返るように解散危機も何度かあった。

 初期はカミセン人気が高くグループ内格差もあり、カミセンの青さと、常識をわきまえたトニセンの間に摩擦が生じることもあった。リーダーの坂本が、時には鉄拳制裁も辞さない厳しさでいさめた。そんな危ういバランスの中で、年齢が比較的若いトニセンの井ノ原が緩衝材となり、絆を深めてきた。文書でも「今もなお、冗談を言い合える日々が続いていることに感謝」とつづっている。

 関係者によると、あと7カ月余りの間、V6はコンサートを行うことを決めた。日程など詳細を協議中。ファンに直接、感謝を告げ、6人はそれぞれさらなる高みを目指す。 

 ◆井ノ原 快彦(いのはら・よしひこ)1976年(昭51)5月17日生まれ、東京都出身の44歳。88年入所。司会業や俳優業を中心に活躍。10~18年にはNHK「あさイチ」でメインキャスター。15年の大みそかには「NHK紅白歌合戦」で白組司会を務めた。血液型A。

 ◆坂本 昌行(さかもと・まさゆき)1971年(昭46)7月24日生まれ、東京都出身の49歳。88年に入所。19歳で一度、事務所を離れて旅行会社に勤務するが1年弱で再び復帰。00年にミュージカル「シェルブールの雨傘」で単独初主演。血液型O。

 ◆長野 博(ながの・ひろし)1972年(昭47)10月9日生まれ、神奈川県出身の48歳。86年に入所。96年に「ウルトラマンティガ」で主演し、ジャニーズ初の特撮ヒーローに。「食」へのこだわりが強く、調理師免許と野菜ソムリエの資格を持つ。

 ◆岡田 准一(おかだ・じゅんいち)1980年(昭55)11月18日生まれ、大阪府枚方市出身の40歳。02年TBSドラマ「木更津キャッツアイ」や14年NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」、18年の映画「散り椿」や19年「ザ・ファブル」などで主演を務める。血液型B。

 ◆三宅 健(みやけ・けん)1979年(昭54)7月2日生まれ、神奈川県出身の41歳。特技の手話を生かし16年のリオパラリンピック、18年の平昌五輪・パラリンピックのNHK「ユニバーサル放送」でメインパーソナリティー。血液型O。

 ◆森田 剛(もりた・ごう)1979年(昭54)2月20日生まれ、埼玉県出身の42歳。93年にジャニーズ事務所に入所。08年にソロコンサートを初開催。05年に劇団☆新感線がプロデュースした「荒神」で舞台初主演。血液型A。

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