本名「森内寛樹」でソロデビュー 両親とは違う我流で突き進む音の道「カラオケで鍛えた歌声聴いて」

[ 2021年1月25日 05:31 ]

ソロデビューした森内寛樹(撮影・小海途 良幹)
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 森進一(73)森昌子さん(62)元夫妻の三男でロックバンド「MY FIRST STORY」のボーカル、Hiro(27)が、本名の森内寛樹としてソロデビューした。このほど、スポーツ紙初となる取材に応じ「カラオケの精密採点で鍛えた歌を多くの人に聴いてもらいたい」とアピール。両親とは違った我流のスタンスで音楽の道を歩んでおり「長く歌い続けたい」と夢も語った。(飯尾 史彦)

 宇多田ヒカルの「Automatic」やMISIAの「アイノカタチ」を原曲キーで歌いこなすハイトーンボイス。時折かすれる歌声は、独特のしゃがれ声で「おふくろさん」などをヒットさせてきた父親をほうふつさせる。20日発売のカバーアルバム「Sing;est(シンゲスト)」でソロデビューした寛樹。両親から受け継いだ才能をいかんなく発揮している。

 「声質は父親似だとよく言われます。親父はこんなに速く歌わないし、キーも高くないし“どこが似てるんだ?”って思うんですが、どこか同じテイストがするみたいです」

 両親ともにNHK紅白歌合戦に出場した歌手。これ以上ない音楽一家に育ったが、音楽のことで家族に相談したことや、活動の上で協力を得たこともない。

 「変にアドバイスを聞いて、やりたいことがやれなくなるのは嫌で。親には“高校は絶対卒業しろ”って言われていたので、それだけは守った。高校時代に組んだバンドを学生のノリで10年間、全部自分たちだけでやってきた」

 高校2年の時に現所属事務所の代表に誘われ、11年に「MY…」を結成した。大手事務所に属した両親とは対照的に、事務所は自分たちで立ち上げ、出版会社やライブ制作会社なども設立。究極の独立系バンドとして「CD流通の外部委託以外は全て自分たちでやっている」と誇る。口コミで人気を広げ、19年のさいたまスーパーアリーナ公演では1万5000枚のチケットが即完売するほどになった。

 歌も我流で磨いた。「高校までは下手くそだった」というが、メキメキと上達したのがカラオケの精密採点。音程の正確さだけでなくビブラートなども採点基準に含める機能で「友達に連敗が続いて悔しくて。音楽一家としての自負で歌い続けていたら、うまくなった」と振り返る。

 コロナ禍でバンド活動が制限される中、ファンのリクエストを受け、キーの高い歌声を生かして女性歌手のカバーに挑戦した。

 「今後もバンドを主軸に挑戦したいことがあればそのつどやっていきたい。最終的には多くの人に歌を聴いてもらうことが夢です」

 プロ集団の家族に頼らず、我流で音楽の道を進んできた寛樹。本名で勝負するほど自信を持った今、これからが楽しみで仕方ない。

 ◆森内 寛樹(もりうち・ひろき)1994年(平6)1月25日生まれ、東京都出身の27歳。12年にバンド名と同名のアルバムでインディーズデビュー。16年に初の日本武道館公演を開催。昨年8月発売のアルバム「V」はオリコンチャート自己最高位の2位。昨年7月にはフジテレビ「ワイドナショー」にコメンテーターとして初出演。血液型A。

 ≪父の前で「襟裳岬」≫昨年11月には、フジテレビ系特番「まつもtoなかい~マッチングな夜~」で進一と初共演した。進一の前で「襟裳岬」をカバーすると、ツイッターの世界トレンドに「#Hiro」がランクインするなど話題になった。「親父からLINEで“一緒にテレビに出ないか?”って誘われた。意外だった。それもまさか親父の前で歌うことになるなんて」と、予想外の展開だったと振り返った。

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