担当歴55年の記者が語る石原プロ 主亡き後30年以上も存続できたのは国民に愛された証

[ 2021年1月17日 09:30 ]

石原プロモーション 58年の歴史に幕

石原プロモーションの商号の看板と石原裕次郎さん、渡哲也さんの写真が飾られた祭壇の前で思い出を語った舘ひろし(左)と徳重聡
Photo By スポニチ

 石原プロモーションは日本の芸能事務所で稀有(けう)な存在だ。昭和の太陽といわれた石原裕次郎が28歳の時、当時の五社協定のおきてを破って「映画を作るため」に起こした。その魂を同志の三船敏郎の三船プロと結実させたのが独立プロ映画の金字塔「黒部の太陽」だった。

 その裕次郎が47歳で解離性大動脈瘤(りゅう)の大手術をした時、国民はこぞって生還を願った。他界後、主の映画製作への夢をつなぐため、剛腕の番頭・小林正彦専務は石原裕次郎記念館を小樽に建立。事務所の台所をまかなうと同時に“裕次郎の魂”を国民と共有した。

 主亡き後、30年以上も存続できた理由はここにある。三船プロ、勝新太郎の勝プロ、萬屋錦之介の中村プロなど銀幕スターの独立プロはあったが、平成、令和と続いた事務所はない。石原プロの努力はもちろんだが、国民が昭和の太陽を追い続け支えたことが何より大きい。それほど裕次郎は偉大で国民に愛された。石原プロはその証であった。(1965年~石原プロ担当、脇田 巧彦)

続きを表示

2021年1月17日のニュース