神田正輝、俳優業に一区切り?「石原プロで始まり、石原プロで終わります」14日発売の社史につづる

[ 2021年1月14日 05:31 ]

神田正輝
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 16日に芸能プロダクション業務を終了する石原プロモーションの社史「石原裕次郎 渡哲也 石原プロ社史」(青志社、3800円=税別)が14日に発売される。貴重な資料と900点の秘蔵写真を収めた424ページで芸能史の一時代を振り返る決定版。石原まき子夫人(87)、舘ひろし(70)、神田正輝(70)らが58年の歴史に幕を閉じる心境をつづった「謝辞」も収録されている。

 神田は「謝辞」に「48年前に偶然お会いした石原裕次郎さんと始まった神田正輝は、石原プロで始まり、石原プロで終わります」とつづった。引退とも取れるドッキリ発言。取材を進めると、神田は石原プロ解散後、独立して仕事を続けていく意向で、関係者は「神田さんは“年齢も年齢だし、あくせくせずに悠々自適に仕事をしていきたい”と話している」と明かした。

 また、周囲は「石原プロらしい男気のある役柄を演じてきた俳優業に一区切りをつけ、バラエティーを主軸にしてのんびりとやっていくようです」と語っている。

 神田のデビューのきっかけは裕次郎さんとの出会いだった。75年7月、当時大学生だった神田が都内ホテルのレストランで先輩と食事をしていたところ、その先輩が同じ店にいた裕次郎さんと知り合いだったことから席に呼ばれ初対面。これをきっかけに、石原プロや日活撮影所に呼ばれるようになり、76年に日本テレビの連続ドラマ「大都会―闘いの日々―」で俳優デビューした。社史では「聖輝の結婚」と話題となった松田聖子(58)との結婚披露宴のことにも触れ、聖子とのプライベート感あふれる写真も掲載されている。

 こうした貴重なショットや芸能史に残る出来事が石原プロには多数あり、社史では、会社倒産の危機や裕次郎さん、昨年8月に亡くなった渡哲也さんの壮絶な病魔との闘いなど、波瀾(はらん)万丈だった58年の歴史を克明に記録している。2014年には非売品で50年史を発行しており、そこに掲載された渡さんの謝辞や裕次郎さんと懐かしのスターとの写真、裕次郎さんと親交の深かったプロ野球・巨人の終身名誉監督の長嶋茂雄氏(84)が99年発行の「石原裕次郎写真集」に寄せた手記なども再録されている。

 その石原プロに48年在籍した神田は「ずーっと一つの会社で過ごせたことに“ああ、ここで良かったな”と感謝しています」としみじみと回想。「石原プロで始まり、石原プロで終わります」の真意について今後、話が聞ける機会が待たれる。

 《カバーめくると本体の表紙》石原裕次郎さんがカメラをのぞいている表紙のカバーをめくると、本体の表紙の裕次郎さんと渡さんの船上ショットが現れる珍しい仕掛けとなっている。

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