梅沢富美男「人生、全部偶然なんですよ」ラッキー続きの半生振り返る

[ 2020年6月8日 19:45 ]

俳優の梅沢富美男
Photo By スポニチ

 俳優・梅沢富美男(69)が8日、TBSラジオ「伊集院光とらじおと」(月~木曜前8・30)にゲスト出演し、役者人生を歩むきっかけ、代表曲「夢芝居」の大ヒットなど、人生の転機に訪れる偶然について語った。

 両親が率いる大衆演劇「梅澤劇団」で1歳7カ月で初舞台を踏み、「天才子役」と騒がれたが、テレビの普及で劇団の経営は傾き、少年時代は給食費も払えないほど貧乏になったという。親を恨んで「俺は役者なんかなるものか」と固く決意。ところが、東京で役者をしていた兄から「うまいもの食わせてやるから来い」と誘われた際、兄の劇団に急病人が出て、自分が飛び入りで出演することになったという。

 福島育ちの梅沢が、福島なまりのせりふを発すると、客席は爆笑。「人間っていうのは不思議なもので、『恥ずかしい』と思っていたら、役者をやらなかった。『ウケた』と思った。『役者ってすごいんだな。たった1人が100人くらいの客を沸かせられるんだ』と思ったら、役者の眠っていた血がパーンと(騒いだ)」と、俳優になる決意をしたという。

 梅沢がテレビドラマ「淋しいのはお前だけじゃない」で人気者になった82年当時、人気俳優がレコードデビューすることが流行しており、自らも誘われたという。乗り気ではなかったが「小椋佳さんが作詞作曲するなら歌ってもいい」と無理難題の条件を付けたところ、担当者が、かつての職場で小椋氏の後輩だったというミラクルで実現した。楽曲も、小椋氏が当時、担当していたNHKの子供番組のメロディーを短調を長調にアレンジして完成したのが、名曲「夢芝居」。あまりの偶然続きに、梅沢も「180曲くらいあるのかな?そのシングルのたった1曲ですよ、売れたのが。それが、子供の番組のテーマで、マイナーをメジャーに変えただけ」と驚いていた。

 梅沢の代名詞でもある女形も、偶然の産物だったという。漫画家の故・石ノ森章太郎さんから、当時お気に入りだった演歌「矢切の渡し」を踊るようリクエストされ、兄と挑戦することに。ところが、兄から「俺は女形できないから、お前がやれ」と言われたそうで、「『女好きなんだから女を見りゃいいだろ』って。ラッキーと思って。化粧したのが、あの女形ですよ」と告白。「人生、全部偶然なんですよ」としみじみ語っていた。

続きを表示

2020年6月8日のニュース