アントニオ猪木 プロレスデビュー60周年 闘魂は燃え続ける

[ 2020年5月20日 11:30 ]

1995年4月29日、北朝鮮・平壌のスタジアムに19万人を集めて行われたアントニオ猪木―リック・フレアー
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 【牧 元一の孤人焦点】アントニオ猪木が1960年9月にプロレスラーとしてデビューしてから、あと4カ月で60周年となる。1998年4月に現役引退したが、最近もYouTubeの公式チャンネルで「まだまだオレはやりたいことがたくさんある」と話すなど、「燃える闘魂」は健在だ。

 私が初めて猪木を取材したのは、1989年に参院選に初めて出馬した時だった。当時、東京・六本木にあった新日本プロレスのエレベーターの中で「これから番記者として、ずっと追い掛けさせていただきます」とあいさつすると、猪木は「追い掛けなくてもいいよ」と冗談交じりに話して笑った。

 以後、1990年のイラク、95年の北朝鮮など、海外まで追い掛けた。中でも、平壌のスタジアムに19万人もの観衆を集め、米国人レスラーのリック・フレアーと対戦した試合は忘れられない。19万という信じがたい数の人々からの地鳴りのような拍手、声援、どよめき…。あんな強烈な体感を経験することはもう二度とないだろう。

 後日、北朝鮮の試合について取材した時の話も思い出深い。「あの試合は、北朝鮮で生まれた師匠の力道山への恩返しの思いからだった。オレはずっと師匠を超えようと思って戦ってきたけれど、結局、力道山を超えることはできなかったと思ってる。プロレスラーとしてはオレの方が完成されているだろう。ファンの記憶に残る試合も多いかもしれない。でも、戦後の日本を象徴する、あの力道山の存在感を超えるのはやはり難しい」。

 猪木は力道山を超えるため、常に世間、社会、世界を相手に戦ってきた。普通にプロレスをしていたのでは人の心に残らない。誰も成し得ていないことに挑戦しなければ世の中を動かせない。1976年にプロボクシング世界ヘビー級王者のムハマド・アリと戦ったのも、その思いがあったからだろう。

 現役引退して久しい今、誰かと試合することはできない。けれど、まだまだ戦いは続いている。その一つが、世界のゴミ問題を解決するための技術「水プラズマ」を世に広めることだ。「オレの役割は外に向けて発信すること。日本から、新しい技術を発信していく」と意気込んでいる。

 ムハマド・アリとの試合は当時、「大凡戦」「茶番」と批判された。ところが、時が流れ、総合格闘技が世間に浸透した現在は「歴史的一戦」「原点」と評価が高い。水プラズマも近い将来、「アントニオ猪木が薦めていた技術」と思い起こされる日が来るかもしれない。闘魂は燃え続ける。

 ◆牧 元一(まき・もとかず)1963年、東京生まれ。編集局デジタル編集部専門委員。芸能取材歴約30年。現在は主にテレビやラジオを担当。

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2020年5月20日のニュース