大河「麒麟がくる」 共演陣を光らせる長谷川博己の「受け」の芝居

[ 2020年5月7日 13:10 ]

NHK大河ドラマ「麒麟がくる」で明智光秀を演じる長谷川博己(C)NHK
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 【牧 元一の孤人焦点】NHK大河ドラマ「麒麟がくる」の今月3日の放送で、明智光秀(長谷川博己)が斎藤道三(本木雅弘)と2人で話す場面があった。道三が長男の高政(伊藤英明)と戦うのを光秀が止めようとする重要なシーンだ。

 道三は「人の上に立つ者は正直でなければならぬ」「あの男(織田信長)から目を離すな」「大きな国を作るのじゃ」などと遺言のような話を語り続ける。ところが、説得にやって来たはずの光秀はほとんど口を開かない。セリフの分量にすれば、道三が9に対して光秀は1くらいの感じだ。光秀を演じる長谷川はほぼ表情の変化だけで道三の本木の芝居を受け続けた。

 この日の放送を振り返ると、似たようなパターンが多かった。光秀は叔父の光安(西村まさ彦)、妻の熙子(木村文乃)、道三の娘で織田信長の正室の帰蝶(川口春奈)らと2人で話す場面があったが、いずれも相手のセリフが目立ち、長谷川は受けの芝居に徹している印象だった。

 「麒麟がくる」は長谷川が主役で、ほかの俳優たちは脇役。本来ならば、どのシーンでも主役がもっと際立って良いはずだ。ところが、そのように作られていない。考えてみれば、そこに大河ドラマの特質がある。大河は1人の英雄伝ではなく、群像劇なのだ。

 以前、堺雅人に聞いた話を思い出した。2016年の大河「真田丸」に主演した時のことだ。当時、堺はドラマ「半沢直樹」を大ヒットさせた余韻の中で注目の的だったが、「真田丸」に主演することについて「いい駒でいたいと思っています。今回は、僕が!という気持ちは全くありません」と話した。

 その時は、自分を駒に例えるなんて謙虚な人だと思ったが、実は大河の主役の本質を語っていたのだ。堺は「(自身が演じる主人公の)真田信繁はいろんな物を見て、いろんな所に流されていく。信繁の目を通して、お客さんがドラマを見る仕組みになっている。そういう役なので、ある意味で全くセリフがなくてもいいくらいです」と説明していた。

 その役割は「麒麟がくる」の光秀にもあてはまる。群像劇を盛り上げるためには、ほかの登場人物を光らせなければいけない。大河の主役で重要なのは、受けの芝居。プロレスに例えるなら受け身のうまさ、ボクシングに例えるならカウンターの鋭さが求められるのだ。ここまでの放送を見ると、長谷川の受けの芝居は共演陣を光らせることに成功していると思う。

 もちろん、今後は本能寺の変に向けて能動的な芝居も数多く見られるだろう。3日の放送では最後に、光秀が高政と戦うことを決意する場面があった。家臣を前に、視線を動かさず、「敵は、高政さま!」と言い放つ光秀。その時は、長谷川博己という役者が秘める力強さをひしひしと感じた。

 ◆牧 元一(まき・もとかず)1963年、東京生まれ。編集局デジタル編集部専門委員。芸能取材歴約30年。現在はNHKなど放送局を担当。

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