46年前の加入した日に…ドリフ“全員集合”志村さんに笑ってお別れ 加藤茶「新しいネタ考えてて」

[ 2020年4月2日 05:30 ]

ザ・ドリフターズ結成40周年記念展「40周年だョ!全員集合」の会場に駆けつけたメンバーの(左から)仲本工事、志村けん、加藤茶、高木ブー(2005年撮影)
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 先月29日に新型コロナウイルス肺炎のため死去したタレント志村けんさん(享年70)の追悼番組が1日夜、フジテレビで生放送された。「ザ・ドリフターズ」で苦楽をともにした加藤茶(77)、仲本工事(78)、高木ブー(87)の3人らが出演し、思い出を語った。4月1日は、くしくも46年前に志村さんがドリフに加入した日。3人は懐かしのコント映像に大爆笑して、志村さんとお別れした。

 「そう遠くないうちに俺たちもそっちに行くと思うから、長さん(いかりや長介さん)と酒でも酌み交わしながら、ドリフの新しいネタでも考えててくれよ。5人が全員集合したら、そっちのお客さんを大爆笑させようぜ。約束だぞ」。番組の最後に弔辞を読んだ加藤は、天国での再会を誓い、「大好きな志村よ」と締めくくった。

 寂しすぎる、残された3人の“全員集合”。ただ、無念さが心を埋め尽くす中でも、志村さんのコントはやっぱり面白かった。

 ドリフのたらい落とし、バカ殿、変なおじさん、ひとみばあさん、柄本明(71)との芸者コント…。番組で流れた21本のコント映像に3人は大爆笑し、仲本は「やっぱり凄いね。リズムが速いし、全てアクションがついてる。加藤との息はマネできないね」とあっぱれ。加藤も「こんなに笑っていいんですかね」と笑った。

 志村さんにとって、加藤は恩人だった。1968年にドリフの付き人になった。その1年後に「1年間だけほかの仕事をする」と言い残して離れ、バーテンダーなどの職業に就いて社会勉強をした。だが1年後にいざ戻ろうとすると、いかりやさんは「志村は逃げた」と勘違いしていた。そのため志村さんは加藤を頼り、口添えしてもらい付き人に復帰した。加藤なくして、志村さんがドリフで輝くことはなかったのだ。74年に脱退した荒井注さんに代わってレギュラーに昇格した時も、加藤の進言があった。

 その後の活躍は言わずもがな。ギャグセンスにたけた2人は、ドリフの両輪として大活躍した。「8時だョ!全員集合」で2人が披露した「ヒゲダンス」はその象徴だ。86年からは2人の冠番組「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」でコンビ芸を見せた。まさにあうんの呼吸で、加藤は「何でもツッコんでくれるから、安心してボケられる」と絶大な信頼を寄せていた。

 しかし、突然訪れてしまった別れ。加藤は「まだねえ、志村が死んだって信じられない」と現実を受け入れられない思いも漏らした。それでも、ドリフの絆は永遠だ。高木は番組最後にこう言った。

 「46年、ドリフターズとして志村と僕らは一緒にやってきた。だから、志村は死なないの。ずっと生きている」

 腹を抱えて笑った全国の人々の心の中でも、きっと生き続ける。

《おなじみ志村コント》
 ◇たらい落とし 一軒家のセットを使ったコントで定番の小道具だったのが金属のたらい。立てつけの悪い戸を力いっぱい閉めた時などにメンバーの頭上からたらいが落ちる。絶妙なタイミングとたらいが当たったリアクションで笑いを誘うドリフの名物芸。

 ◇学校 主に教師をいかりやさん、生徒を残る4人が演じる。「修学旅行」では教師の目を盗んで外出しようと生徒が悪だくみ。「卒業式」では不良生徒たちの“お礼参り”をコミカルに演じた。

 ◇バカ殿 白塗りの顔と立派なちょんまげがトレードマーク。スケベでいたずら大好き。ゴールデン帯にもかかわらず、おっぱい丸出しの女性がたびたび映し出されていたが、00年頃を境に見られなくなった。

 ◇変なおじさん ラクダシャツに腹巻き、ももひきといういでたちで突如姿を見せる。「何だチミはってか?そうです、私が変なおじさんです」と名乗り、コミカルに踊る。寄り目で「だっふんだ」とオチをつけて、周囲をずっこけさせるのがお決まり。

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