志村さん 素顔は寡黙な恥ずかしがり屋 厳格な父がテレビを見て笑いこらえる姿見てお笑い志す

[ 2020年3月31日 05:30 ]

志村けんさん死去

志村けんさん
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 数々のギャグとキャラクターでお茶の間を笑わせてきた志村さんだが、素顔は寡黙で恥ずかしがり屋だった。カメラが回っていない場所ではゆっくりと言葉を選んでしゃべる。テレビ番組のフリートークについても「生活の中で面白いことがないから笑えるようなことはしゃべれない」と控えめだった。

 シャイな一面を持ちながら、舞台に上がるとひょう変。「メークをしてカツラをかぶれば何でもできる」と、キャラクターになりきって笑いを取り続けた。

 教員一家の三男として生まれ「先生んちの息子と言われて変なこともできなかった」。そんな中、厳格な父がテレビを見て笑いをこらえる姿を目撃し、お笑いの世界を志すようになった。高校2年の時にコメディアンの由利徹さんに弟子入りを志願したが断られ、いかりや長介さんの自宅前に深夜まで座り込んで「ザ・ドリフターズ」の付き人として拾われた。

 ボーヤの間は月給1万5000円の極貧生活で、靴が買えなくてはだしで生活したこともある。6年後の74年に荒井注さんの脱退を受けて正式にドリフターズになりブレーク。収入は「50~60倍」になり、ギャグ職人として脚光を浴びた。

 年齢を重ねても笑いへの探究心は衰えず、自宅ではテレビをつけっ放しでバラエティー番組を見ていた。日本テレビ「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」などがお気に入り。生前、取材に「1時間全部コントをやる番組が理想。笑われるのが好きだから、文化人みたいにはなりたくない」と話していた。

 ビートたけし(73)、明石家さんま(64)らテレビバラエティーを引っ張るタレントを尊敬しながら、自身の目は舞台へ向いていた。06年から毎年、舞台公演「志村魂」を開催。「お客さんの前でウケないと恥ずかしいから一生懸命考える。そうやってやってきたから、やっぱり生で笑われたい」と、何歳になっても“笑われること”にこだわり、最後までコメディアン魂を貫いた。

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2020年3月31日のニュース