20世紀から「土曜の夜の顔」だった志村けんさん 死去で「天才!志村どうぶつ園」どうなる!?

[ 2020年3月30日 16:15 ]

志村けんさん
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 新型コロナウイルスによる肺炎のため70歳で亡くなったタレントの志村けんさんは、「土曜の夜の顔」だった。

 1970~80年代のバラエティー界は、「土8戦争」と呼ばれる視聴率合戦の真っ只中。土曜午後8時台は、まずフジテレビがお笑いコンビ「コント55号」で優位に立つと、TBSは「ザ・ドリフターズ」で対抗した。テレビ界はモノクロ時代が終わり、カラーでは初のバラエティー「コント55号の世界は笑う」が68年に登場。これが多くの支持を得ると、TBSは1年3カ月遅れてドリフをメインに据えた「8時だョ!全員集合」を開始した。

 ともに一般客を入れた会場でコントを披露する公開形式。ドリフと同じ事務所には人気歌手が多く在籍したため、毎週迎えるゲストが豪華だった。後発ながらTBSが逆転したが、74年にドリフから荒井注さん(2000年に71歳で死去)が脱退すると勢いは失速。フジの「欽ちゃんのドンとやってみよう!」が巻き返した。そんな中、「全員集合」を国民的な怪物番組に再び押し上げた立役者が志村さんだった。

 荒井さんに代わってドリフに加入。2年後の76年に、郷土をテーマにした「東村山音頭」が爆発的ヒット。その後も「ヒゲダンス」や、童謡を替え歌にした「♪カラスの勝手でしょ~」「♪ぞうさん」などが次々とウケ、志村さんの一挙手一投足を全国の小中高生も日常的にマネるなど社会現象となった。

 流れが変わったのは80年代の漫才ブーム。「THE MANZAI」世代でつくるフジテレビ「オレたちひょうきん族」が81年に始まると、“土8戦争”の様相は一転し、「全員集合」は85年9月に幕を閉じた。

 代理バトルはその後も続き、TBSは翌86年に、加藤茶(77)と志村さんによる「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」をスタート。こちらは92年3月まで続いたのに対し、「ひょうきん族」は89年10月に終了した。

 晩年の志村さんは、土曜の夜は日本テレビの顔だった。2004年4月に木曜午後7時台で始まった「天才!志村どうぶつ園」は、07年4月から土曜午後7時台で放送中。志村さんが2本抱えたレギュラー番組のうちの1本。今後の放送はどうなるのか。嵐の相葉雅紀(37)ら残されたレギュラー陣たちで続けていくのか、どうか。志村さんを見られない土曜日は、寂しがる人も多いはずだ。

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