23歳で“7番目の愛人”に…仁支川峰子、驚きの壮絶人生語る「ほぼ経験してるね、火事以外」

[ 2020年2月27日 22:35 ]

女優の仁支川峰子
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 女優の仁支川峰子(61)が26日放送の関西テレビ「関ジャニ∞のジャニ勉」(水曜深夜0・25)に出演し、波瀾万丈の壮絶な人生を語った。

 仁支川は1974年に16歳で歌手としてデビュー。いきなりデビュー曲「あなたにあげる」が大ヒットし、レコード大賞新人賞などを受賞。紅白歌合戦に4年連続で出場するなど、若くして成功を収めた。また、女優転向後は映画「吉原炎上」などで好演を見せ、「笑っていいとも」にレギュラー出演するなどタレントとしても活躍した。

 まさに順風満帆ともいえる芸能生活だが、その裏側では誰もが驚くような壮絶な人生を送っていた。

 まず、1歳半。栄養失調で死にかけた。家が貧しかったこともあるが、共働きの両親に代わって面倒を見ていた“ばくち好き”の祖母が立つのが面倒なのでミルクを与えず、代わりに“塩せんべいをなめさせていた”という。そのせいもあってか5歳になるまで自ら立つことができなかったそうだ。

 23歳の時には、元祖プレイボーイ・火野正平(70)の“7番目の愛人”として週刊誌に掲載される。後に“8番目の愛人”の存在が明らかになると愛想を尽かして別れることに。翌年、実業家の男性と恋に落ちるが「こいつに1億貢いだの」と顔をしかめる仁支川。強烈な“不幸の連鎖”に関ジャニの面々は大笑いだった。

 40歳になると、かの有名な事件が起こる。なんと“新築わずか1カ月の自宅”が台風で流されたのだ。110坪の土地にあったものがほぼなくなる大惨事となった。ただ仁支川は「ハイ完成しました、引っ越しはしてません、1回も住んでません、ハイ流されましたの方がきっとショックだと思う。仕事に通いながら2週間ぐらい泊まれたもん。住めただけよかった」と超前向きな発言。「命があればいいのよ!(生きていれば)またあるから」と胸を張った。

 しかも驚くべきは、翌年、同じ土地に2軒目となる自宅を建てたこと。仁支川は「1軒目は平屋だったの。2軒目は2階建てにしたの。何かあっても2階に行けるから。基礎も深くしてね」と、常人には及びもつかない“プラス思考”を見せつけた。

 51歳になると甲状腺がんが見つかり、手術することになる。しかし、医療ミスで1日に2回手術するハメに。「全身麻酔を1日2回、大量入れられて死にかけた」そうで、仁支川いわく「3日間で10回死にかけた」という。

 これまでの人生を振り返り、「ほぼ経験してるね、火事以外」と苦笑いの仁支川。「(不幸を乗り越えるのは)修業だと思っている」と、もはや悟りの境地に達していた。

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