有名だった“おしどり夫婦”ぶり ノムさん、沙知代夫人の死から2年、後を追うように…

[ 2020年2月12日 05:30 ]

野村克也さん死去 ( 2020年2月11日 )

03年、シダックス監督時代の祝勝会で沙知代夫人(左)からご褒美のキスをされる野村さん
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 球界屈指の名将として知られた野村克也さんは、2017年12月8日に85歳で亡くなった妻沙知代さんとの“おしどり夫婦ぶり”も有名だった。

 出会いは南海時代の1970年。前妻と離婚訴訟中だった野村さんと、夫のいた沙知代さんの交際は「ダブル不倫」「略奪婚」と激しいバッシングを受けた。沙知代さんが監督室にまで出入りしたとされる「公私混同」が批判され、77年には監督を解任された。

 それでも2人は78年に再婚。野村さんは妻を「ドーベルマン」と評したが、これは「一見凶暴に見えるが、実は主人に従順」(知人)な一面を表したもの。服のコーディネートや、仕事の準備は任せっきり。家庭でも沙知代さんは、夫に電話一本も取らせることはなかった。知人は「野村さんが野球に専念できたのは内助の功が大きかった」と語った。

 一方の野村さんも、番組の合間に「弁当持って帰るか?」と電話で聞くなど、常に妻を思いやった。

 「サッチー」と呼ばれた沙知代さんに対する世間の評価は「悪妻」。女優の浅香光代(91)との「ミッチー・サッチー騒動」や01年の脱税事件での逮捕などで世間を騒がせた。脱税事件では、野村さんは阪神監督の引責辞任に追い込まれたが「老後の蓄えにと、私のためにやったこと」と沙知代さんをかばった。経歴詐称問題についても「それだけ俺をゲットしたかったんでしょう」と話した。「あんな猛獣とうまくやれるのは自分だけ」とも公言していた。

 10年には解離性大動脈瘤(りゅう)を患い、心臓に不安を抱えたが、沙知代さんが口外させなかった。野球関係者は「監督のオファーが来なくなることを案じていた。生涯監督を貫いてほしかったのではないか」と、沙知代さんの思いを推し量った。

 愛妻に先立たれた野村さんは、周囲に「後を追い掛けたい」と漏らすほど気落ちしていた。自宅では生前使用していた椅子に毎日座って過ごした。2年あまり亡き妻を思い続け、永遠の眠りに就いた。

 《「女房よ…」歌詞も話題に》野村さんは「俺の花だよ月見草」(93年)「女房よ…」(09年)のシングル2作をリリースしている。楽天監督時代に発表した「女房よ…」は沙知代さん自ら作詞。♪誰もいない この世のどこにも おまえを超えるひとは――と、野村さんの愛妻家で恐妻家の一面がうかがえる歌詞も話題になった。同曲発売元のテイチク関係者は「今のところ再発売はない」としている。

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