カンニング竹山 亡き相方の病気を知った瞬間「大阪のさんま師匠の番組に出る日で…」

[ 2019年11月4日 09:50 ]

お笑いタレントのカンニング竹山
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 お笑いタレントのカンニング竹山(48)が1日放送のTBS「A-Studio」(金曜後11・00)に出演。2006年12月に急性リンパ性白血病で他界した中島忠幸さん(享年35)との生活を振り返った。

 竹山は「カンニング」結成前、同級生と「ター坊ケン坊」というコンビで活動していた。のちに相方となる中島さんとも小学校からの同級生だが、その頃、中島さんは地元福岡の料亭で板前修業中だった。竹山は19歳の頃、相方を置いて福岡から逃亡。東京へ向かったという。その後、東京で1年ほどバイト生活を送っていた竹山。ある晩、西荻窪の定食屋に行くと、中島さんが偶然、ビールを飲んでいた。聞くと、中島さんも修行先で先輩を殴って飛び出してたまたまた東京に来ていた。

 その後、竹山は「行くところもないから、東京でコイツ(中島さん)と半年ぐらい東京を満喫して…。『なかやん、お笑いしたいんだけど、やらん?』って言ったら『やろうかな』って…」と1992年に中島さんとコンビを結成。ネタは竹山が考え、板前修業の前にアイドルの親衛隊をやっていたという中島さんが営業面を担当。「中島が『じゃあ、オーディションだな』って言い出して、親衛隊の時の経験があるから、プロダクションとかにえらい知り合いいるんです。コイツがガンガン電話して、『お前はネタだけ考えろ、俺は裏やるから』って。それがカンニングの始まりです」と懐かしんだ。

 テレビ、イベントに引っ張りだことなり、売れっ子になった2004年12月、中島さんに病気が発覚し、入院することに。当時について「テレビの仕事をめちゃくちゃなスケジュールでやってて、1日2時間とかの睡眠。僕と中島とマネジャーと3人で働いてて…」と回顧。「あるロケの時にロケバスに乗って、3人で寝ていて、呼ばれても中島が起きなくて、『ちょっとしんどいわ!』って。『風邪やろ』ってことで病院に行ったら『風邪や!』って言われて。(その後も)休めないから無理して働いていて、でも、『やっぱりしんどいから、風邪じゃないんじゃないか』って大学病院に行ったら『白血病です』って…」と経緯を説明。「ちょうど大阪のさんま師匠の番組に出る日で、東京駅にいる時にマネジャーから電話が来て…」と相方の病気を知らされた瞬間を振り返り、「とりあえず、1人で行って、(番組にも)1人で出て、そこから闘病ですね。2年ぐらい闘病しましたけどね。最後の方は治るって(病院を)出て来たりしたんです。『ここからだな』って(話していた)。今はかなりの確率で治りますけど」と悔やんだ。

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