チャゲアスの40年 ASKA「誰にもできなかったことをやってきました」

[ 2019年8月25日 13:58 ]

03年3月当時に無料ライブで熱唱する人気デュオ「CHAGE and ASKA
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 ASKA(61)が25日に脱退を表明したことで事実上のコンビ解消となった「CHAGE and ASKA」は、福岡県内の高校の同級生同士だった。

 デュオを組んだきっかけは、「ポプコン」の愛称で親しまれた1978年の第15回ヤマハポピュラーソングコンテストの福岡大会。2人は第一経済大学に在学し、別々に出場していた。Chageがグランプリを獲得して九州大会へ進むことになり、最優秀歌唱賞のASKAと一緒に演奏することをヤマハのスタッフが進言。ライバル同士がパートナーシップを組み、その後はポプコンの「つま恋本選会」で連続入賞するなどプロへの弾みをつけた。

 79年にシングル「ひとり咲き」でデビューした時のアーティスト名は「チャゲ&飛鳥」。翌80年の「万里の河」で大ブレークした。

 最初の危機は10周年を迎えた89年。バンド「MULTI MAX」を結成したChageに対し、ASKAは渡英。チャゲアスは活動休止となった。

 90年に「CHAGE&ASKA」と改称してからは、人気は再び右肩上がりに急カーブ。翌91年、フジテレビ系ドラマ「101回目のプロポーズ」の主題歌に起用された「SAY YES」はデビュー12年目で初のシングルチャート1位を獲得。オリコンチャート13週連続1位で、280万枚以上を売り上げた。

 2001年からは「CHAGE and ASKA」の名称に。しかし、30周年の2009年には活動の無期限休止を発表。互いのソロ活動を充実させることが理由だった。さらに35周年の14年にはASKAの事件でファンクラブも休止。40周年の今回は、ASKAの脱退に至った。

 大きな決断に至ったASKAは、25日に更新したブログで「40年の活動の中で、誰にもできなかったことをやってきました。これは、我らの勲章です」と振り返っている。今後は「その勲章を首から外し、壁にかけ、今後の音楽人生を歩んでいきたいと思っています」としている。

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