シャロン・テート事件から50年。真相は逆恨み?の深層

[ 2019年8月20日 09:00 ]

シャロン・テート役を熱演するヒラリー・ダフ (C)2018Cielo Tate Island,LLC
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 【佐藤雅昭の芸能楽書き帳】米国ばかりでなく世界中に戦りつを走らせた忌まわしい出来事から8月9日で半世紀が経過した。ロマン・ポランスキー監督の妻で、新進女優だったシャロン・テートがカルト集団に惨殺された事件だ。

 ちょうど50年の節目とあって、クエンティン・タランティーノ監督が最新作「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」(8月30日公開)でも取り上げるなど、再びスポットが当たっている。

 「ワンス・アポン…」と同じ日にヒューマントラストシネマ渋谷で封切られるのがダニエル・ファランズ監督の「ハリウッド1969 シャロン・テートの亡霊」だ。26歳、8カ月の身重だったシャロンの最後の数日間を描いたホラーサスペンスで、シャロンを演じた女優ヒラリー・ダフ(31)が迫真の演技をみせている。

 実際の事件を振り返ってみよう。米テレビシリーズ「じゃじゃ馬億万長者」(63~65年)などに出演していたシャロンは、喜劇映画「吸血鬼」(67年公開)で共演したポランスキーと恋に落ち、68年1月に結婚。翌69年2月に夫妻はカリフォルニア州シエロ・ドライブ10050番地の広大な土地に建てられた邸宅に引っ越し、ここが惨劇の舞台となった。

 69年8月8日の夜、狂信的カルト指導者チャールズ・マンソンに洗脳された「ファミリー」と呼ばれる信奉者たち4人がシャロン邸に侵入。彼女の友人たち4人を殺害した後、「赤ちゃんだけでも助けて」と哀願するシャロンにも容赦なく手をかけ、16カ所もナイフで刺して惨殺した。夫のポランスキーは英国ロンドンで脚本作りをしており、留守にしていた。

 ファランズ監督は事件の1年前、シャロンがあるインタビューに「自分と友人の2人がのどを裂かれ、ロープで首をくくられていた夢を見た」と答えたという記事を読んで映画製作を決めたという。

 凶行当日までに身の回りに起こった不気味な出来事に恐怖を募らせていくシャロン。ユニークなのは、単にノンフィクションとして描くのではなく、彼女たちに反撃するチャンスを与え、実行犯グループを撃退させてしまう“別バージョン”を盛り込んだ点だ。誰もが知る事件をそのまま描いても策が無い。ならばとファランズ監督が自らの希望、思いを敢えて映像にしたもので、興味深く見た。

 マンソンはビートルズの楽曲「ヘルター・スケルター」に啓示を受け、自らをビートルズの5人目のメンバーであると自覚していたとされる。劇中にも出て来たが、ポランスキー&シャロン夫妻が引っ越してくる前にこの邸宅に住んでいたのがテリー・メルチャーという音楽プロデューサー。ミュージシャンを志望していたマンソンはテリーにデモテープを何本も送ったが、メジャーデビューに至らず、恨んでいたとされる。

 思い起こされるのが7月18日に京都伏見区で発生した京都アニメーションの放火事件。35人の尊い命が奪われる大惨事となったが、青葉真司容疑者(41)は同社に応募した小説が採用されず、一方的に恨みを募らせていったと見られている。

 シャロン・テート事件も実際にマンソンの逆恨みに端を発しているとするならば、本当にいたたまれない。ちなみに終身刑を言い渡されたマンソンは17年に病死。83歳だった。

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