猛省の夏

[ 2019年7月30日 08:00 ]

91年8月21日、全国高校野球選手権大会の決勝で投げる沖縄水産の大野倫
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 【我満晴朗 こう見えても新人類】国学院久我山が夏の甲子園に出場を決めた。28年ぶりだとか。つまり1991年以来。あれっ、現地で取材していたなあ。

 徐々に記憶がよみがえってきた。そういえば当時2年の井口資仁遊撃手(現ロッテ監督)は翌年のドラフト候補として注目されていたっけ。ただし後のメジャーリーガーを直接取材したかどうかの記憶はあいまいだ。対照的に強烈だったのは沖縄水産の大野倫投手で間違いない。

 そう、ここ数年よく話題になる「例の人」だ。大会前から利き腕の右ひじに痛みが発生していたものの、沖縄悲願の初優勝を期待する周囲の「空気」に逆らうことができず、結局1回戦の北照(南北海道)戦から決勝の大阪桐蔭戦まで6試合すべてを1人で投げ抜いた悲劇的英雄。

 当時の記事を検索したら、筆者は順々決勝の鹿児島実業戦(8月20日)でこんな原稿を書いている。

 「大野の右ひじはとっくに疲労の限界を超えていた」「右ひじはもう、まっすぐに伸びない」「投げ続ける大野はまるで夢遊病者のように見えた」

 実際のところ、最後の打者を打ち取り、両手を突き上げながら跳躍する彼の写真をよく見ると、渦中の部位は微妙に内側へと曲がったままだ。

 翌21日の決勝。午前中は台風の影響で小雨が降っていた。大野投手もさすがに中止を祈っていたという。だが無情にも天候は回復し、予定通りにプレーボールがかかってしまった。そんな状況にマウンドに上がった主人公を筆者は「勝負の女神は過酷な条件にエースに与える」と執筆した。

 結果は16安打を浴び、13点を奪われての大敗。試合後、アルプス席へのあいさつから一塁側ベンチに戻ってきた際、取材陣に取り囲まれかけた背番号1は「すいません」と断ってからベンチ奥の冷水機に直行した。鮮明に覚えているシーンだ。十数秒ほどゴクゴクと水分を摂取した後のインタビューでは「3年間頑張って…ここまできて…悔いなんかありません」とコメントを絞り出した。
 抜け殻のような体躯。消え入りそうな声。翌日の記事では彼の奮闘ぶりを無条件で礼賛した。それが当然だと思っていたからだ。

 大会後に「右ひじ骨折、靱帯(じんたい)損傷、遊離軟骨」と診断され、投手としての寿命は尽きていたという悲報すら美談として語り継がれてしまった時代。メディアの端くれとしてその一翼に軽々しく加担してしまったことを今では深く反省している。
 30年近い年月が流れた今夏、地方大会決勝で絶対的エースを温存し、その結果ひのき舞台への道を閉ざされたチームが出現した。賛否両論ある。でも筆者は指導者の決断を支持したい。あの8月、天賦の才能に恵まれた若き右腕がぼろ切れのように消耗された姿を直接目撃しながら、批判一つできなかった情けない身ではあるけれど。(専門委員)

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