ジャニーさん 思い出す言葉「はい上がってきたんですよ」

[ 2019年7月10日 10:30 ]

ジャニー喜多川氏死去

ギネスブック2012年版に掲載されたジャニーズ事務所のジャニー喜多川社長の写真。「最も多くのコンサートをプロデュースした人物」「最も多くのNo.1シングルをプロデュースした人物」の2部門で認定された
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 【悼む】先輩記者からジャニーズ事務所の担当を受け継いだ時、ジャニーさんの印象を聞くと「用務員のおじいさんっぽいよ」と返ってきた。初めて会った時、失礼ながらその言葉がぴったりだと思った。

 いつもニコニコしていて穏やか。服装はラフなスタイルを好んだ。ジャンパーは森光子さんからプレゼントされたものを愛用。シャツやキャップも、所属タレントや友人から贈られたものをなるべく身に着けた。

 タレントから「さん」付けで呼ばれるのを嫌がり、「ジャニーでいいよ」と言った。10代の少年たちとも友達のように付き合った。そうした関係の中、少年たちを間近で観察し、タレント性や能力を見極めていたように思う。こんなプロデューサーは二度と出ない。

 裏方に徹し表舞台に出ることはほとんどなかったが、スポーツ紙の取材には気軽に応じた。語り口は軽妙でユーモアたっぷり。交流があった芸能人や世界のスターたちの話題になると、話は止まらなくなった。エンターテインメントを心底愛しているのがひしひしと伝わってきた。

 そんなジャニーさんに、たった一度だけ怒られたことがあった。SMAPの解散騒動のさなか。SMAPのマネジメントを長年担当してきた女性マネジャーのIさんを「育ての親」と書いた記事への抗議だった。「ボクがメンバーを選んで、グループ名を付けて、路線を決めて、紅白(歌合戦)に出場できるようにもした。それなのにIが育ての親だって言うんですか?」

 日頃から「ボクは一人だけでやってきた」「人のマネは絶対にやらない」と話していたジャニーさん。自分の“見る目”とセンスだけを頼りにグループをつくり、育ててきたという強烈なプライドを感じた。思い出すのは「はい上がってきたんですよ」という言葉。戦争直後の複雑な時代背景の中、米国で育ち、まだ多様性がなかった日本で男性アイドルにこだわったジャニーさんの本質は、やはり強い人だったのだと思う。

 その信念や人柄に直接触れることができたのは、芸能記者としてこの上ない喜びだった。本当にありがとうございました。(文化社会部デスク・小枝 功一=07~18年、ジャニーズ事務所を取材)

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