ジャニーさん卓越した「相馬眼」 Jr.を無料で育て大きな遺産に 複数有望ユニットがデビュー待つ

[ 2019年7月10日 04:00 ]

ジャニーズ事務所の外観
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 9日に87歳で死去したジャニーズ事務所社長のジャニー喜多川さんは、類を見ない「相馬眼(そうまがん)」で嵐など数々のスーパーアイドルを送り出し続けた。CDデビュー前のスター候補性がひしめく「ジャニーズJr.」には300人前後が在籍するとされ、現在も複数のユニットが本格的な売り出しの機会をうかがっている状況だ。

 そもそもジャニーズJr.は定期的にメンバーを募集していない。事務所などに連日届く履歴書や写真などにジャニーさんが自ら目を通し、将来的に有望かどうかを判別してきた。お眼鏡にかなうと、「デビュー組」の先輩たちのコンサート会場などに呼ばれ、いきなりバックダンサーとしてステージに立つことも少なくはない。初めて踊った舞台が東京ドームだったJr.たちは何人もいる。こうして容姿だけではなく、ハートやキャラクターなども見抜く。「デビュー組」のそばで目立って踊るJr.は有望株だ。しかもレッスン料は無料。

 ジャニーズJr.がバックダンサーとしてテレビにも映るようなったのは、郷ひろみ(63)が1971年に事務所入りしたころから。当時の郷は「フォーリーブス」の後ろで踊るうちに注目度が上がり、1972年にレコードデビュー。「少年隊」も結成当初は田原俊彦(58)や近藤真彦(54)のバックダンサーだった。

 本来は修行中のような立場であり、引き立て役でもあったジャニーズJr.の転換期は1996年ごろ。テレビ東京「愛LOVEジュニア」などの冠番組が始まるなど、Jr.だけでもビッグビジネスが成立。CDデビュー前なのに東京ドームで単独公演が開催できる存在となった。その中心にいたのが、昨年引退した滝沢秀明氏(37)だ。

 滝沢氏は13歳で事務所入りし、半年後の1995年10月期のフジテレビ「木曜の怪談」シリーズでドラマ初主演。間もなく、120人前後のJr.をまとめるリーダーとなった。ジャニーさんからの信頼は厚く、コンサートや冠番組の仕切りはもちろん、演出にも積極的に進言。責任感が強く、面倒見もいいため、後輩たちからは慕われた。当時から「ジャニーさんがもう一人いるみたい」と明かすメンバーもいたほど。

 この頃にはジャニーズJr.も各々のキャラクターに応じて複数の班を編成。楽器が得意なバンド班、トークが得意なバラエティー班、演技派は俳優班など、学校の部活動のように各班に分かれて才能に磨きをかけてきた。ダンス班を強化する指導役には、元TRFのダンサーが付いた。これを指揮したのがジャニーさん。どの班から誰を選び、何人組で編成したら、どんなユニットが誕生するのかと常に考えていた。

 例えば、身長1メートル76以上のメンバーがそろう「MADE」は、メイドにかけて「お客様満足度ナンバーワン」を目指す4人組。Mはミュージカル、Aはアカデミー、Dはダンシング、Eはエキスパートの頭文字で、各分野に秀でたメンバーをそろえている。また、「HiHi Jets」はローラースケートが得意な5人組。「7 MEN 侍」のグループ名は故黒澤明の名作映画「七人の侍」に由来する。他にもジャニーズJr.の中には10組以上のユニットが誕生しており、切磋琢磨しながらCDデビューのチャンスを待っている。

 いずれのグループにも、メンバーの選択からネーミング、育成法などジャニーさんならではのアイデアがみられ、事務所に残した大きな遺産といえる。その天才プロデュースぶりを少年時代から間近に見続けてきたのが、“Jr.の申し子”といえる滝沢氏。現在のジャニーズJr.のメンバーたちにとっても、距離が最も近い存在となっており、継承者として手腕が注目される。

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