嵐メンバーも悲し 来年活動休止を見届けてもらえず…「いつまでもついていく」と話していた

[ 2019年7月9日 23:50 ]

ジャニーズ事務所の外観
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 9日に87歳で死去したジャニーズ事務所社長のジャニー喜多川さんは、2020年に休止する「嵐」の活動を見届けることはできなかった。大野智(38)、櫻井翔(37)、相葉雅紀(36)、二宮和也(36)、松本潤(35)は、ジャニーさんが救急搬送された翌日の6月19日に全員そろって病院へ面会。その後も時間があれば都内の入院先に足を運んでおり、7月1日には松本が取材陣に「それぞれ、時間がある時になるべく、ジャニーさんの病室に通っているような現状です」と明かしていた。

 「一日も早く回復してくれることを祈っています」と、快方に向かってくれると信じ続けた。カメラの前で「皆さまには今は静かに温かく見守っていただければと思っておりますので、なにとぞよろしくお願いいたします」と呼び掛け、「この話で暗い会見になるのはジャニーも望んでいないと思います」と懸命に明るく振舞った。

 また、櫻井も同日の日本テレビ「news zero」で「一日でも早く良くなるよう祈っているところです」と語った。

 嵐は、ジャニーさんがCDデビューさせた20世紀最後のアイドルグループ。グループがお披露目されたのは千年紀目前の1999年9月。米ハワイ州のホノルル沖を航行中の客船上で記者会見を開く、異例の発表だった。米国で発生した「嵐」が海を越えて日本で旋風を巻き起こす。結成当初からのジャニーさんの願い通りにメンバー5人はその後、国民的スターとなった。

 メンバーたちもハワイへ出発した時は、この5人で活動していくことになるとは知らなかったくらいの意外な編成だった。グループ名は意表をついて漢字一文字。日本語の50音順でも、アルファベット順でも「最初に呼ばれるから」とジャニーさんが命名。「あ」と「A」から始まる「一番」にこだわった。売り出したころは、先輩アイドルたちの間で「5人で嵐なら50人で五十嵐か?」などと笑いのネタにされてしまうネーミングだったが、そんなインパクトも逆に奏功した。

 人気は時間をかけながら着実に右肩上がりに上昇。2007年4月には初の東京ドーム公演を実現させ、同年12月発売のシングル「Love so sweet」が大ヒット。4位でオリコン年間チャートのトップ10入りを果たした。ここからは男性アイドルの売り上げ記録を次々と更新。NHK「紅白歌合戦」と日本テレビ「24時間テレビ」の司会を同じ年に務めたこともあった。

 そんな5人が結成20年目に下した大きな決断に対して、ジャニーさんは理解を示していた。休止発表会見から3日後の1月30日、取材に応じ「あと2年間頑張ってくれるだけで、すごくうれしいです。僕なんて、2年後はいないかもしれないけど」と冗談交じりに話していた。

 そして「僕はいつまでも嵐についていきます。2年でも3年でも」と5人を今後も見守っていくことを強調。ここまでの嵐の歴史について、長かったと感じるか?と問うと「当然です」と即答。「昔は、嵐くらいの年齢で歌ったり踊ったりすると笑われたものです。20年間よく頑張ったなと思います」と称えた。

 この時、引き合いに出したのはジャニーズ事務所の第1号グループ「ジャニーズ」。メンバー4人全員が20歳前後だった1997年に解散しており、ジャニーさんは「あの頃はジャニーズのメンバーが『もうできない』というのを、僕も何の違和感もなく受け止めていた」と振り返った。「だけど、限界が来たと思って止まったら、そこは本当の限界ではないということを教えてもらった」と、男性アイドルとしての限界を超え続けてきた嵐を称賛した。

 大野によると、メンバーたちにも「20年間よく頑張ってくれた。ありがとう」と、ねぎらう言葉をかけてくれたという。

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