ジャニー喜多川氏死去 葬儀は「ジャニーの子供」タレントとジュニアだけの家族葬で

[ 2019年7月9日 23:40 ]

ギネスブック2012年版に掲載されたジャニーズ事務所のジャニー喜多川社長の写真。「最も多くのコンサートをプロデュースした人物」「最も多くのNo.1シングルをプロデュースした人物」の2部門で認定された
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 「たのきんトリオ」「少年隊」「SMAP」「嵐」などを発掘、育成し、男性アイドルブームをリードしたジャニーズ事務所社長の喜多川擴(きたがわ・ひろむ、本名ジョン・ヒロム・キタガワ)さんが9日午後4時47分、解離性脳動脈瘤(りゅう)破裂によるくも膜下出血のため東京都内の病院で死去した。87歳。米カリフォルニア州ロサンゼルス出身。6月18日から入院していた。

 フォーリーブスや光GENJI、SMAP、嵐など、多くのトップスターを生み出したジャニー氏。通夜・告別式は「ジャニーの子供でございますタレント達とJr.のみ」による「家族葬」で執り行われる。

 ジャニー氏は1962年、アイドルグループ「ジャニーズ」を結成。これがプロデュースを手掛けた第1号で、メンバーには後に俳優となる、あおい輝彦(71)がいた。同年6月にはジャニーズ事務所を創業。70年代は「フォーリーブス」のほか、郷ひろみ(63)が「新御三家」としてヒット曲を連発。80年代はTBSドラマ「3年B組金八先生」に出演した近藤真彦(54)らによる「たのきんトリオ」を皮切りに、「シブがき隊」「少年隊」「男闘呼組」などを次々とブレークさせた。
 
 ローラースケートブームを呼んだ「光GENGI」は、「パラダイス銀河」で88年の日本レコード大賞を受賞。90年代は「SMAP」でバラエティー番組にも進出し、「TOKIO」「V6」「KinKi Kids」「嵐」らが続いた。

 こうした「CD(レコード)デビュー組」の後ろで踊り、予備軍的存在の「ジャニーズJr.」を組織化。在籍する多くの男性たちから将来的なスター性を見抜き、2000年以降もアイドルグル―プを波状輩出。18年5月のKing&Princeまで、CDデビューを果たしたアイドルだけでも通算50組前後で150人以上にのぼる。

 ダイヤモンドの原石を見つけて磨き上げ、デビューさせる稀代の制作手腕は誰にもまねできないと言われている。しかし、18年末で芸能活動を引退した滝沢秀明氏がプロデュース業など裏方に専念。“後継者”の役割を担い、ジャニーさんも「私の頼もしい後継者たちが今後も切磋琢磨して皆様が求めるエンターテイメントをお届けする為に頑張ってくれることに期待しています」と喜んでいた。

 レコード・CD制作のほか、ミュージカルなども多数手掛けて2003年には舞台の栄誉「菊田一夫演劇賞」の特別賞を受賞。11~12年には、ギネス世界記録の「最も多くのコンサートをプロデュースした人物」「最もナンバーワン・シングルをプロデュースした人物」「最も多くのチャート1位を獲得した歌手をプロデュースした人物」に認定された。

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2019年7月9日のニュース