ショーケン「これはあゆみの歌だ」…BOROが明かした「大阪で生まれた女」秘話

[ 2019年3月31日 10:30 ]

80年、婚約会見に臨む萩原健一さんといしだあゆみ

 「ショーケン」の愛称で親しまれ、26日に消化管間質腫瘍(GIST=ジスト)のため68歳で死去した俳優の萩原健一(はぎわら・けんいち、本名敬三=けいぞう)さんの代表曲「大阪で生まれた女」の誕生秘話を30日、作詞・作曲した歌手BORO(65)が明かした。

 1979年5月1日に萩原さんがシングルとして発売した「大阪で…」。同曲を萩原さんに紹介したのは、肺炎のため17日に死去した歌手の内田裕也さんだった。大阪・北新地で弾き語りをしていたBOROを見いだし、プロデューサーとしてアルバムを手掛ける際、萩原さんに「今度こんな新人をやるんだ」と聴かせた。

 「これは、あゆみの歌だ!」。萩原さんにとって当時交際中だった歌手で女優のいしだあゆみ(71)は大阪府池田市育ちで、歌詞の主人公に彼女が重なった。運命的な曲にほれ込み、その場で「この曲歌っていい?」と懇願したという。

 内田さんも、知名度のある萩原さんがカバーするのは全国区にする上で起爆剤になると判断。BOROも、自身より3カ月早く発売することを快諾。狙い通りの大ヒットにつながり、萩原さん、BOROの代表曲となった。

 同年、萩原さんが柳ジョージさんらと開催したライブツアー「熱狂雷舞」も大成功。旧渋谷公会堂での公演を見に行ったBOROは楽屋で萩原さんと初対面。「気さくな人ですぐに打ち解けられた」という。楽屋には、ゲスト出演した恋人いしだの姿もあり「皆でわいわい楽しかった」と懐かしんだ。

 80年に萩原さんはいしだを2番目の妻として迎えたが、83年に大麻取締法違反で逮捕されるなど無軌道な生活が続き、4年後に離婚。“大阪で生まれた女”を幸せにすることはできなかった。

 BOROはデビュー40周年を迎える年に内田さんを失い、わずか9日後に萩原さんが死去。2人の恩人を失ったことに「ショーケンさんの悲報は、40周年アルバムのレコーディング中に飛び込んできた。立て続けの知らせで本当に寂しい」と悼んだ。 

 ▽「大阪で生まれた女」 上京する恋人に付いて行くか故郷の大阪に残るかを悩む女性の思いを大阪弁でつづる歌詞、切ないメロディーで人気を博した大阪のご当地ソングの代表格。原曲は30分を超える長編だったが現在の尺に縮められた。BOROの第2弾シングルとしても79年8月に発売され、17万枚を超えるヒットを記録。

 ≪「レコチョク」歌謡曲・演歌ランキングで7位にアップ≫萩原さんの生前に残した楽曲が、配信サイト大手「レコチョク」の29日付歌謡曲・演歌ランキングで上位10曲中6曲を占めた。1位はボーカルを務めたグループ「ザ・テンプターズ」の「エメラルドの伝説」(68年)。87年に近藤真彦(54)と競作した「愚か者よ」が3位となり「大阪で生まれた女」が7位にアップ。さらに80年の「ぐでんぐでん」が8位、77年の「前略おふくろ」が9位に続いた。

続きを表示

この記事のフォト

「美脚」特集記事

「連続テレビ小説「スカーレット」」特集記事

2019年3月31日のニュース