桑田佳祐「大衆音楽作家」としての矜持 大衆に向き合い、常に新しい音楽を

[ 2019年1月31日 09:30 ]

サザンオールスターズの桑田佳祐
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 昨年大みそかの「NHK紅白歌合戦の」MVPは、サザンオールスターズだったと思う。35年ぶりにNHKホールから紅白に出演し、文字通りの桑田佳祐の大暴れ。サブちゃん、ユーミンといった大御所を巻き込み、見てるこちらは「次に何が起こるか分からない」とドキドキさせられた。生放送ならではのハラハラ感を味わった。

 昨年6月25日、サザンはデビュー40周年を迎えた。活動休止期間があったとはいえ、メンバー全員が還暦を超えるまでバンドが長続きしていることはもちろん、いまだに第一線で日本の音楽界を引っ張っていることは称賛されるべきことだと思っている。

 昨夏のフェス「ロック・イン・ジャパン・フェスティバル」では、会場中のオーディエンスがトリで出演するサザンのステージを心待ちにしていた。ファンはもちろん、「フェスが大好き」という若者もそれ以上に多くいた。その客層こそ、サザンの音楽が老若男女を問わずに愛されている証拠だった。言うまでもなく、ヒット曲を連発したライブは大盛り上がりだった。

 昨年12月、あらためて桑田の音楽に対する思いを知ることが出来た。エイズの啓発活動「Act Against AIDS」の一環であるソロライブ「第3回ひとり紅白歌合戦」の終盤、桑田のメッセージが会場に流された。とても興味深いものだったので紹介したい。

 流行歌。ヒット曲。

 大衆はいつの世も、それを求めている…と私は思っていた。しかし近年は何かが違う。歌は世につれ世は歌につれ、と言うが、世はあまり歌につれなくなったのだ。

 本来「大衆」とは「欲望」をあらわにし、「非常識」というものをエサに逞(たくま)しく生き永らえようとする生き物であり、怪物である。

 流行歌とは、ヒット曲とは、それを証明する魂の雄叫びであり、非常識や夢物語を声に出すための道具であった。

 弱さ、醜さ、狡さ… それら人間の業を肯定するものが流行歌なのだとしたら、私たち大衆音楽作家はここ数年いったい何をやって来たのだろう?

 Act Against AIDSのテーマも、その根幹には「人間の弱さをどう乗り越えていくか」という課題があったように思う。

 AAAの活動自体は2020年に終焉(しゅうえん)を迎えるが、世の中にはその他にもさまざまな問題が山積みとなっている。

 大衆とほどよくがっぷり四つに組み、新たな音楽を作り続けていくことを、私は辞めないだろう。

 平成三十年というひとつの時代の節目に、私はそう思いを新たにするのだ。

 桑田は自身を「大衆音楽作家」と称している。いつの時代も大衆と向き合って音楽を作り続けてきたからだ。だから曲にはその時々の時代背景が反映されている。桑田、そしてサザンの音楽ジャンルは「流行歌」だ。

 ロックを主体に、歌謡曲や演歌、アメリカンポップス、ソウル、R&B、ヒップホップといったさまざまな音楽の要素を曲に取り入れきた桑田。「こうやったら面白いんじゃないの?」という挑戦的な姿勢がそれを可能にし、その結果、常に新しい音楽を生み出し、いつの時代も聴き手に受け入れられているのだ。今年の大みそかもまた、紅白に出てくれないものかと、心から願っている。

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