赤木春恵さん、80年近い女優人生の原動力は森光子さん 出会いは戦時中の慰問団

[ 2018年12月9日 11:30 ]

94歳で亡くなった赤木春恵さん
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 【覆面座談会】平成最後の年末が近づく中、衝撃のニュースが飛び込んできました。いつもの覆面メンバーが舞台裏に迫ります。

 ワイドショーデスク(以下ワイドデスク) 「3年B組金八先生」や「渡る世間は鬼ばかり」などのドラマや映画、舞台で活躍した女優の赤木春恵さんが亡くなった。

 本紙デスク 94歳の大往生。入院先でも亡くなる前日まで家族と会話をしていたそうだ。

 週刊誌記者 2013年公開の映画「ペコロスの母に会いに行く」では、88歳と175日で主演。「世界最高齢での映画初主演女優」としてギネス世界記録に認定されて、人生の終盤に大きな花を咲かせたね。

 リポーター これだけ長く活躍されるのは、やはり真摯(しんし)に演技に取り組んできたから。その原動力は何だったのだろうね。

 ワイドデスク 赤木さんが「ソウルメート」と呼んだ大女優・森光子さんの存在が大きかったようだ。切磋琢磨(せっさたくま)して成長できる関係だった。赤木さんが10月末に「今、みっちゃんが来たの」と語っていたと長女が明かしていたほど仲が良かった。

 週刊誌記者 「おもろい女」など、森さんの主演舞台で重要な役どころを担ったのが赤木さん。舞台が終わると、2人で手をつないで食事に行っていたのも有名な話。

 本紙デスク 2人が出会ったのは昭和15年。戦争の真っただ中だ。役者の合同慰問団として全国各地を回るトラックの上で居合わせた。既にスターだった森さんに、まだ養成中の赤木さんが気安く声を掛けたと。すぐに打ち解けたんだって。

 リポーター 赤木さんは「顔を見て目が合えば、それだけで気持ちが伝わる」といつも話していて、森さんと同じ時代に同じ仕事ができる喜びを感じていた。それだけ森さんに敬意を払っていた。

 ワイドデスク 演じる役柄も違っていたから、良好な関係を築けたのかもしれない。森さんは「日本のお母さん」と呼ばれたけど、赤木さんを同様に表現するなら「日本のおばあちゃん」かな。

 週刊誌記者 10代後半で出会ったということは、2012年に森さんが亡くなるまで70年以上の付き合い。それからもベッドの横には森さんとの写真を飾って、いつも話しかけていた。

 リポーター 通夜の時は棺の上に森さんから贈られた「楽屋のれん」が掛けられ、棺にはおそろいだった楽屋着が納められた。とてもきれいに保管されていたみたい。大事な宝物だったのでしょう。

 本紙デスク 今頃、天国で再会してまた芝居をしているだろうね。

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2018年12月9日のニュース