間寛平 マラソンを始めたきっかけは夢のお告げだった?池乃めだかが明かす

[ 2018年12月7日 18:47 ]

MBSテレビ「OFLIFE」に出演する間寛平が大阪マラソンで疾走
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 MBSテレビ「OFLIFE」(火曜深夜1・59)の11日放送はタレント・間寛平(69)の「走る」にスポットを当てる。

 先月25日の「大阪マラソン」に挑戦した寛平。仕事のスケジュールが立て込むなか、寛平は意外なところで大阪マラソンの10日ほど前の午前10時に走りながら、立ち寄ったのは園田競馬場。「迷っても当たれへん」と、配当の高そうな馬券を買い、再び走り始め場外から第3コーナーを回って走って来る馬が見える場所で立ち止まった。馬券と馬を見比べて一喜一憂。また、競馬場の周囲を走り、次のレースにまた同じ場所に戻って来ることを繰り返す。独特の寛平流トレーニングだ。

 「アースマラソン」を完走するなど、寛平さんの「走る」はあまりにも有名。キッカケは盟友・池乃めだか(75)の「走ってみたら?」の一言。25歳で吉本新喜劇の座長に就任した寛平と、めだかは盟友。めだかも「寛平ちゃんが“夢でなんぼ走っても疲れへん”っていうから、走ってみたら?って言うた」と当時を振り返る。夢のお告げだった。

 ホノルルマラソンに挑戦。初マラソンと思えない記録を出し、天性の才能が花開く。その後、36時間以内に245キロを走るスパルタスロンを完走。24時間テレビ・チャリティーマラソンの初代ランナーにもなった。前人未踏の「アースマラソン」を完走したのは10年前。過酷な場所で生活する人々を見て「すっごい生きてるなと。くよくよしてる場合ちゃうで」と思った。人間の強さに突き動かされ「何にも怖くなくなった」。それ以来、より多くの人に走る魅力を広めようと、多くのマラソン大会をプロデュース。今は来年に向けて新たなマラソンを企画中だ。

 来年70歳の古稀、芸人生活50周年を迎える寛平。マラソンも芸人も「やめようと思ったことはない」という。今年の大阪マラソン完走後「きつかった〜」と一言。それでも走る理由を問われ「歯痛と一緒やねん」と寛平ならではのたとえで答えた。その意味は?走りながら得た人生観とは?。そして走り続ける寛平が将来に抱く、1%の可能性の夢とは?めだかや、たむらけんじ(45)のコメントも交え、間寛平のもうひとつの顔に迫る。

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2018年12月7日のニュース