赤木春恵さん棺に3枚の「楽屋のれん」森繁久弥さんらから贈られた宝物

[ 2018年12月4日 05:41 ]

赤木さんの遺影が飾られた祭壇。左下は森繁久彌さんとの共演写真(撮影・村上 大輔)
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 先月29日に心不全のため94歳で死去した女優の赤木春恵(あかぎ・はるえ、本名小田章子=おだ・あやこ)さんの通夜が3日、東京都杉並区の築地本願寺和田堀廟所で営まれた。武田鉄矢(69)、コロッケ(58)ら芸能関係者を中心に約700人が弔問。祭壇に置かれた棺には、3枚の「楽屋のれん」がかけられていた。片岡千恵蔵さん、森繁久弥さん、森光子さんの3人の恩人からそれぞれ贈られた宝物だ。

 葬儀ではあまり見ることのない「楽屋のれん」がかけられた棺。えんじ色は70年代後半に片岡さんから、薄緑は80年代前半に森繁さん、水色は90年頃に森さんから贈られたものだった。

 楽屋のれんは、舞台の座長が脇を固めてもらった俳優に対し、その俳優が主演舞台などの重要な作品を務める際に“頑張ってください”とのエールを込めて贈ることが多いもの。舞台関係者は「もらう側からすれば、贈ってくれた人に認められたということを意味する。昭和の大スターたちが、いかに赤木さんに信頼を寄せていたかを表す証です」と話した。

 3人は赤木さんの女優人生と切っても切れない恩人。特に森さんは「ソウルメート」と呼んだ親友。1940年の戦時中、全国の慰問先に向かうトラックの中で出会った。既にスターだった森さんと意気投合し、女優として切磋琢磨(せっさたくま)する関係に。舞台「おもろい女」「桜月記」など多くの作品で共演。赤木さんは「何も言わなくても心が通じ合う」と信頼を寄せ、12年に森さんが他界した後も、ベッド脇に2人の写真を大事に飾った。

 片岡さんには、若い頃から目をかけてもらった。「春恵」の芸名を勧めたのも片岡さんだ。森繁さんは、関西から東京へ活動の場を移すきっかけをつくった人。1959年から森繁さんの自由劇団に参加し、舞台「佐渡島他吉の生涯」では、アドリブを織り交ぜながらの息の合ったやりとりが評判だった。祭壇にはこの舞台の2人の共演写真も飾られた。

 祭壇は赤木さんが大好きだったトルコキキョウなど、白とピンクの花で彩られた。優しくほほ笑む遺影は、87歳の頃に撮影された一枚。戒名は「圓優院釋尼春慧(えんゆういんしゃくにしゅんえ)」。穏やかで優しい人柄や、芸名からつけられた。

 4日午後1時からは、同所で葬儀・告別式が営まれる。

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