赤木さん「食堂」は戦争の経験から「自分が食べたい時に食べられなかったので」

[ 2018年11月30日 08:11 ]

赤木春恵さん死去

戦後間もなく満州から帰ってきた直後の赤木春恵さん。当時21歳(東宝提供)
Photo By 提供写真

 赤木さんは常に周りを思いやる“気遣いの人”だった。元気な頃はよくドラマ、舞台の共演者やスタッフらの食事を用意した。撮影現場や舞台の楽屋は、さながら「赤木食堂」だ。早朝のロケがあれば、朝食を取ってこなかった人のためにおにぎりを差し入れ、本番の合間には牛丼やカレーライスを振る舞うこともあった。

 その胸中を「自分が食べたい時に食べられなかったので、一緒にいる人たちのおなかの具合が気になって仕方がない」と明かした。第2次大戦中、慰問劇団員として満州各地を巡業。現地は当時の日本国内と同様に食料事情が悪く、カンパンだけで飢えをしのいだ。

 森繁劇団に属し、座長だった森繁久弥さんは「真面目な努力家。どこに出しても恥ずかしくない」と自慢した。子供の頃に「修身」を学び「人に迷惑をかけてはいけない」という考えが染みこんでいた。他人に尽くして喜びを感じるタイプで、趣味は家事。特に掃除、洗濯で休日を一日つぶすこともあった。

 そんな赤木さんが自らを解放できる相手が、満州巡業時に知り合った森光子さんだった。暇を見つけては森さんに電話。時に会話は30分、40分に及び、森さんが「ところで、用事は何?」と尋ねると「娘のワンピースがよく似合っていたから…」と答えることもあった。人と話すのが好き、人間が大好きな人だった。

続きを表示

この記事のフォト

「美脚」特集記事

「嵐」特集記事

2018年11月30日のニュース