アレサ・フランクリンさんが遺したもの プロスポーツ選手をもうならせた伝説の国歌斉唱

[ 2018年8月21日 08:00 ]

2006年のNFLスーパーボウルで国歌を斉唱したフランクリンさん(AP)
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 【高柳昌弥のスポーツ・イン・USA】“ソウルの女王”と呼ばれたアレサ・フランクリンさんが16日に亡くなった。享年76。すい臓がんと闘病中だったそうだ。

 あのふくよかなだった体が最近ではめっきりと痩せてしまい、2016年の感謝祭(11月24日)にNFLのライオンズ対バイキングス戦で国歌をピアノの弾き語りで斉唱した際には、そのやせ細った体を隠すかのように毛皮のコートを身にまとっていた。

 2004年6月15日。自宅のあるミシガン州デトロイトで迎えたNBAファイナル第5戦での国歌はゴスペル調。試合は地元のピストンズが100―87でレイカーズを下し、4勝1敗で3回目の優勝を飾った。2016年の感謝祭でもデトロイトを本拠にしているライオンズが16―13で勝利を収めており、デトロイトのスポーツファンにとっては“勝利の女神”だったかもしれない。

 1980年代の後半。私は彼女が1981年にリリースしたアルバム「LOVE ALL THE HURT AWAY」をカセットテープに録音して渡米。取材で米国各地を巡る旅が続く中でレンタカーではこのカセットをよく聴いていた。

 当時、歌詞の意味はよくわからなかったが、ジョージ・ベンソンとのデュエット曲でもあったアルバム・タイトルでもあるこの曲は運転中のイライラを解消してくれた。

 なにせナビなどない。空港から出発する前にレンタカー店でもらった地図をにらめっこしてホテルまでのルートを頭に入れておくのだが、道を間違えなかったことはない。オレゴン州では山中に迷い込んだ。

 移動はほとんどが夜間。うっかり治安の悪い場所に入り込むとやっかいなことになるので、運転があまりうまくない私にとっては動揺を最小限に抑える“精神安定剤”が必要だった。その1つが彼女の歌だった。

 フェミニスト(男女同権主義者)にとっての象徴的存在だと知ったのはずいぶんあとになってからだ。そのきっかけとなったヒット曲「リスペクト(1967年)」もそれまで聴いたことはなかった。

 この伝説の名曲、もともとは1964年にオーティス・レディングが歌った愛嬌のあるナンバー。主語は男性で「家に帰ってきたときくらいやさしくしろよ、おい聴いてんのか?」と妻(恋人?)に文句を言う内容になっている。

 ところがフランクリンさんの「リスペクト」は内容はほぼ同じながら主語は女性。しかも「家に帰ってきたときくらいやさしくしてよ」と言う歌詞の行間には性的行為を望むニュアンスがぷんぷん漂っており、何度も繰り返される「ちょっとだけよ(Just Little Bit)」というフレーズによって欲情が増幅されていく。だから訃報を伝える日本の各メディアは、具体的な内容までは言及していなかった。

 なぜ「リスペクト」がリスペクトされるのか?それは男性のレディングに同じ歌でフランクリンさんがまるでカウンターパンチを見舞っているような形になっているからなのだろう。男性と同等に扱ってという歌詞の意味も加わって、フェミニストたちの心を揺り動かしたのも理解できる。

 ただしフランクリンさんは2014年、音楽雑誌のインタビューの中で「自分は社会を変えるような人間ではなかった。女性の人権運動に貢献したとは思いません。もし何かお役にたっていれば、それはそれでよかったとは思いますが…」と1960年代後半に巻き起こったムーブメントへの直接的関与については否定している。多くの活動家に持ち上げられたはずだが、彼女は歌うことだけに集中。そのスタンスは終生、変わらなかった。

 スポーツにも音楽にも「力」がある。迷っているとき、落ち込んでいるときに背中を押された方も多いことだろう。私とてソウルの女王のおかげで道を間違えずにすんだ(文字通りの意味です)。

 2004年のファイナル第5戦。当時34歳だったレイカーズのゲイリー・ペイトンは、チームメートだったコービー・ブライアントとシャキール・オニールとは違って、国歌斉唱の際、ずっと目を閉じてフランクリンさんの国歌を聴いていた。聴き惚れていたようにも見えた。たぶん心の“ツボ”にはまったのだろう。

 しかし当事者にとっては好きなことに集中することがプライオリティーであり、その後にやってくる社会への影響などはあまり考えていないのかもしれない。

 重荷を背負うことなくもっと自由に歌いたかったはずだ。やり残したことが多いと感じていたとも思う。

 歌手のライオネル・リッチーはフランクリンさんの死に接して「彼女の声、彼女の存在感、彼女の生き方。誰もマネはできない」と語っていた。

 もう二度と聴けないソウルの女王による国歌斉唱。少しハスキーになった晩年の声は、音楽界にとってもスポーツ界にとっても“世界遺産”だった。

 ◆高柳 昌弥(たかやなぎ・まさや)1958年、北九州市出身。上智大卒。ゴルフ、プロ野球、五輪、NFL、NBAなどを担当。NFLスーパーボウルや、マイケル・ジョーダン全盛時のNBAファイナルなどを取材。50歳以上のシニア・バスケの全国大会には7年連続で出場。今年の東京マラソンは4時間39分で完走。

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