【柳沢慎吾のひとり甲子園“再現動画”】79年箕島―星稜 ビデオなくとも頭に入っている

[ 2018年7月25日 09:00 ]

箕島―星稜戦での落球シーンを再現する柳沢慎吾(撮影・会津 智海)
Photo By スポニチ

 甲子園史上最高の名勝負は何か?真っ先に思い出すのは1979年3回戦の箕島(和歌山)―星稜(石川)。延長18回、午後7時56分ゲームセット。3時間50分の激闘の末、星稜が敗れた。これぞ筋書きのないドラマだよ。

 当時はビデオもなかったけど、頭ん中にバッチリ入ってる(※文末の動画<1>参照)。星稜が1点リードで迎えた延長16回裏。箕島・森川のフラフラと上がったファウルボールを、一塁・加藤が人工芝の切れ目につまずいて、まさかの落球。その直後に森川が同点弾。アナウンサーの「甲子園球場に奇跡は生きてます!」の実況にしびれたよ。

 高校野球には数々の名フレーズがあるけど、「甲子園には魔物が棲んでいる」も有名。勝利者インタビューで「甲子園には魔物がいましたか?」と質問されて、どっかの監督が「魔物って大きいんですかね、小さいんですかね」。意味不明な回答に焦ったのかテレビカメラが急に切り替わった。記者も「放送席、こちら一回締めます」だって。あれも衝撃の名場面だね。

 実は箕島の尾藤監督と甲子園で会ったことがある。大好きな甲子園カレーを食べてると監督がやってきて、俺の肩に手を置きながら「おいしそうだね。いい夏休みだね〜」。あんな言葉を掛けてもらえるなんて最高の幸せ。人生の宝物だよ。

 星稜で忘れられないのは92年の明徳義塾(高知)戦の松井秀喜の5打席連続敬遠もそう。怒号が飛び交い、グラウンドにはメガホンも投げ入れられて異様な雰囲気だった。

 甲子園の歴史に刻まれた星稜の2つの試合には共通点がある。星稜は77年に作った応援曲「星稜コンバット」が定番。それが箕島や明徳の時にも流れていた。両方敗れた試合だけど、伝説がこの曲とともにあると考えると感慨深いよ。

 “敗れてなお強し”では日本文理。2009年の中京大中京(愛知)との決勝は忘れられない(※文末の動画<2>参照)。4―10で9回2死から猛反撃。「打った〜、抜けた〜」でどんどん点が入る。

 ♪さあ〜行きましょう!さあ〜行きましょう!最強文理!常勝文理。甲子園が一体となった地鳴りのような声援。県岐阜商(岐阜)には演奏すれば絶対に点が入ると言われる「突撃のテーマ」があるけど、日本文理のあの日の押せ押せムードは強烈だったね。

 9―10で逃げ切った中京のエース堂林が泣いて、追い上げた文理のナインが満面の笑み。画面越しに文理のエース伊藤が、凄くうれしそうな顔で何か言っていたのが心に残ってる。あの時何を言ったのか、いつか聞きたいもんだよ。

 ▼尾藤公(ただし)監督 甲子園に春夏通算14回出場し春3回、夏1回の優勝。「尾藤スマイル」で知られた名将。11年死去。

続きを表示

この記事のフォト

2018年7月25日のニュース