歌丸さん告別式 木久扇 弔辞で明かした盟友の高座への執念「いつも勇ましくしていらした師匠」

[ 2018年7月12日 05:30 ]

歌丸さんの遺影
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 慢性閉塞性肺疾患のため2日に死去した落語家桂歌丸さん(本名椎名巌=しいな・いわお、享年81)の告別式が11日、横浜市の妙蓮寺で営まれ、落語関係者1000人、ファン1500人の計約2500人が参列した。日本テレビ「笑点」で長く共演してきた林家木久扇(80)が番組代表で弔辞を読み、歌丸さんとの思い出を語った。

 木久扇が明かしたのは、歌丸さんが最後まで高座復帰を諦めない姿だった。亡くなる約2週間前の6月20日に病室を見舞った際、発声練習に励んでいたといい「パンダの食事はパンだ。これを毎日やっていると教えてくれました。ほっぺたの肉が落ちるとパピプペポの音が出ないそうで」と説明。「また元気になって(落語を)やるのだなと思っていました」と悔やんだ。

 1966年の放送開始から「笑点」に出演してきた歌丸さん。69年に大喜利メンバーに加わった木久扇は、誰よりも長く歌丸さんと共演してきた。それだけに「頭の中には楽しかったことしかありません」と語り、初めて2人で海外旅行をした時の秘話を明かした。

 タイのバンコクの空港で飛行機を待っていた時のこと。歌丸さんが規制額を超えるドル札を持っていたことが分かり、木久扇は「兄さん、取り上げられちゃうよ」と一緒にトイレに行ったという。そして「トイレで裸になって体に(ドル札を)ペタペタ張り付けていたら、飛行機が飛んでっちゃって」というエピソードで会場を温かな笑いに包んだ。

 歌丸さんの遺影は15年8月の東京・国立演芸場での高座姿。祭壇にはデルフィニウムなどの青い花と胡蝶蘭(こちょうらん)や菊が並べられ、歌丸さんの出身地である「横浜の海」をイメージしたものになった。隣室には「笑点」の司会台や番組で着用した緑色の着物にネタ帳など、ゆかりの品約50点が展示された。晩年使用した車いすは、ホイールに歌丸さんの写真をはめ込んだ特注品。生前は移動するたび歌丸さんの顔が回転し、見る者を笑わせたという。

 木久扇は真っすぐ遺影を見つめ「いつも勇ましくしていらした師匠」と呼び掛けた。そして「ごゆっくりお休みになってください。ありがとうございました」と感謝の言葉で弔辞を締めくくった。

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