鈴木敏夫プロデュサー無念 高畑監督の「平家物語」実現できず…

[ 2018年5月15日 14:43 ]

三鷹の森ジブリ美術館で行われた高畑勲さんのお別れの会。盟友を悼む鈴木敏夫プロデューサー(右)と目元をぬぐう宮崎駿監督
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 4月5日に肺がんのため死去したアニメーション映画監督の高畑勲さん(享年82)のお別れの会が15日、東京都三鷹市の三鷹の森ジブリ美術館で営まれ、盟友の宮崎駿監督(77)が「お別れの会」委員長を務め、山田洋次監督(86)、押井守監督(66)、岩井俊二監督(55)、女優の宮本信子(73)、竹下景子(64)、瀧本美織(26)、俳優の柳葉敏郎(57)、益岡徹(61)ら約1200人の関係者が参列した。

 鈴木敏夫プロデュサー(69)は高畑さんとはプロデューサーと監督として「火垂るの墓」(88年)、「おもひでぽろぽろ」(91年)、「平成狸合戦ぽんぽこ」(94年)、「ホーホケキョ となりの山田くん」(99年)、「かぐや姫の物語」(13年)を手がけた。高畑さんは「平家物語」を描いた作品を最後にやりたいと話していたといい、「本当はもう1本、どうしてもやりたいということがあったので、それができなかったのが残念ですけどね」と悔しがった。

 出会いは高畑監督が脚本、監督を務めたてテレビアニメ「じゃりン子チエ」の頃。「僕が直接やった作品じゃないけど、毎日のようにいろんなことを2人で相談したんです。後で振り返ると、僕が今日、プロデュサーをやるのにその経験が大きい」とし、「印象深いのは全部。高畑さんとやったのはそれぞれ、全部覚えてます」と続けた。それでも「高畑さんは1度もほめてくれなかったなぁ。監督とプロデューサーって1本作品を作る上では共同事業者。この2人が仲良くしたら作品は作れない。毎回毎回議論、戦いでした」と苦笑した。

 「『ぽんぽこ』は一番大変でしたね。高畑さんはいつも(納期が)遅れるから、高畑さん用に本当は夏公開なのに、春公開ってポスターを作ったけど、全然効果なかった。そういうことの繰り返しでしたね。『山田くん』は最初の脚本が7時間半あったんです。これをどうやって短くするか、大変だった」と振り返った。

 寂しくなる?と聞かれると、「そんなことないですね」とキッパリ。「ならないんですよ、まだ(心に)残っているんです。40年間付き合っていて、一度として緊張の糸を途切れさせたことがない。心のどこかに住み着いちゃっているんですよね。無くしたいんですけど、出て行かないんですよ。この緊張はずっと続く。たぶん、ホッとはしないんでしょうね、そんな気がします」と話した。

 お別れの会の会場を三鷹の森ジブリ美術館にしたことについては、「高畑さんはこの美術館を好きだったんです。宮崎の作品の中でもこの美術館は本当に一番優れているんです。高畑さんも本当に何度も足を運んでいた。だとしたら、ここでやるのが一番かなと考えました」と説明。「たぶん、この吉祥寺、三鷹、東小金井のあたりをずっとウロウロして往生しないんじゃないかって心配がある。あははは。こういうところ好きだったから」と最後まで笑顔で見送った。

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2018年5月15日のニュース