宮川大輔 奇祭に挑み続けて10年 リアクションは出川に負けるも「見とけよ!」

[ 2017年10月17日 10:15 ]

大阪の「だんじり祭り」を初体験!地車に乗り、祭りを盛り上げる宮川大輔(中央左から2人目)
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 【夢中論】日本テレビ「世界の果てまでイッテQ!」(日曜後7・58)で、各国の奇祭に10年間、体を張って挑んできた宮川大輔(45)。8日放送分で節目の100回を迎えた。時に命を危険にさらす過酷なロケ。根性だけでは続かない。突き動かすのは本能だ。実は小学生時代は内向的で病弱。真逆の現在地へ宮川を導いた祭りの「魔力」とは?

 視聴率20%を叩き出すバラエティー。原動力の一人はこの男だ。常軌を逸した世界の祭りに「アカ〜ン!」と叫びつつ、面白カッコよく挑む。

 傾斜35度の下り坂で転がるチーズを追い掛け転倒し、50メートル以上も転げ落ちた英国の「チーズ転がし祭り」(07年)や、地上30メートルの鉄柱を命綱なしで登り切り、地元紙の1面で紹介されたメキシコ「鳥人祭り」(07年)などはもはや伝説。「死んでまうやん、と思いながらやってました。ようやったな、と思います」と淡々と話す。

 元々は体を張るキャラではなかった。星田英利(46)とのコンビ時代も相方任せ。「さほど身体能力や運動神経もない」。でも迷いはなかった。

 「リアクションは(共演の)出川(哲朗)さんに負ける。だったらやるしかない。元相方なのか他の芸人なのか、誰への感情か分からないが“見とけよ!”的な気持ちだけでした」。鳥人祭りも「3分の1くらい登ればいいと言われたけど、本番になると“やったんぞ!”としか思ってなかった」。

 それでも10年間、チーズ転がし祭りでの捻挫とむち打ちくらいで、ほとんどケガもなくピンピンしている。「共演者ともよくその話になるけど、僕には“ここまでは事故らない”という感覚がある」という。

 原点は少年時代にある。「小1の時に小児結核になり、小2まで運動を禁止された」。唯一許されたのがスケボー。「家が(滋賀県)比叡山の中腹で、真っすぐ400メートルくらい下る坂道があった。それをスケボーで下りるのが唯一の遊びやった」。

 当然ブレーキはなく距離が延びるほど猛スピードに。数メートルから始まり、徐々に距離を延ばした。「小3で坂を下りきって、そこからは助走をつけてタイムを縮めてた」。危険極まりないが、事故に遭ったことはない。「祭りでも、ちょっと危険な方が燃える。そういうのにドキドキするDNAは確実に自分の中にありますね」

 子供の頃からお祭り気質かと思いきや、そうではない。大きな祭事のない地域で育った。周囲がスポーツ少年団に入る中、病気の名残もあり、独りだけボーイスカウトに。クラスで面白いと言われる存在ではあったが、前に出ることはなかった。

 「小3の時に、家族旅行先で祭りをやってた。父が僕をやぐらに登らそうとしたんですけど、なんと僕は号泣してしまったんです。笑いを取りつつ目立つとか、そういうの一切できなかった」

 変化は高校1年生で訪れた。文化祭の出し物で作・演出を担当。「誰もやらず、先生が困っていたから」と中心に立った劇が、圧倒的に受けて優勝した。「サザエさんに吉本新喜劇を交ぜたような。今見たら、クソおもんないんでしょうけど」と笑うが、自分の能力を絞り出し、仲間と一丸になってうねるような熱狂を生み出すという行為に魅入られた。

 「気持ちが熱くなるのが好き。コンビ別れして俳優した時も熱い舞台ばっかり。全員でぶつかって、稽古して。それも(祭りに)よう似てますね」

 お化け番組となった「イッテQ!」を「あの番組が一つのお祭り」と表現する。みんなを笑わせたい、ドキドキさせたい。その思いを共有するスタッフや共演者の化学反応。「スタジオが総立ちになると“やったった!”と思う。この祭りを終わらせたくない、という思いで動かされてる」。それが飽くなき挑戦への原動力だ。

 先月、日本有数の危険さで知られる大阪の「だんじり祭り」を、試験曳(ひ)きで初体験した。地元住民に交じり、重さ数トンのだんじりを全速力で走りながら引っ張り息を切らしつつ「これがホンマのお祭りや。地域、人がつながり、小さい子からお年寄りまで関われる」と、人知を超えた魅力を実感した。

 娯楽が多様化する中で、老若男女をまとめてわしづかむ「イッテQ!」での姿は、さながら祭りの主役。体が衰える中「もう一個、階段を上りたい。今できることで新しいドキドキをつくっていかなアカン」と進化を期す。「いつかは“オモロイな、何やこりゃ”という自分の祭りを開けたら」。“お祭り男”の魂は、日本中を巻き込んで広がっていく。

 ≪節目SP「戦友」松潤ゲスト≫8日放送の100回記念スペシャルでは嵐の松本潤(34)とタイの「田植え祭り」に参加。田んぼに設置された4メートルの平均台と急な上り下り、沼などを突破し苗を植える速度を競った。宮川は予選を1位通過したが最終順位は3位。松本は2位に入った。08年の映画「隠し砦(とりで)の三悪人」で共演。「潤は撮影でよく言い合いをした戦友。“100回やってるお祭り男は凄い”と潤から聞いたときはうれしかった」と話した。

 ◆宮川 大輔(みやがわ・だいすけ)1972年(昭47)9月16日、京都府生まれの45歳。小学生から滋賀県大津市に移住し、高校3年生で吉本総合芸能学院(NSC)大阪校に入学。91年に星田と「チュパチャップス」を結成しナインティナインらとユニット「吉本印天然素材」で人気を博す。99年にコンビ解散し、00年に宮本亜門演出の舞台「BOYSTIME」で俳優デビュー。ピン芸人としても活動し、フジテレビ「人志松本のすべらない話」でブレーク。日本テレビ「満天☆青空レストラン」に出演。一般女性と結婚しており長男がいる。趣味はトレードマークの眼鏡集め。

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