忘れ得ぬレジェンドたちとの別れのとき

[ 2017年8月12日 10:00 ]

中島春雄さん
Photo By 共同

 【佐藤雅昭の芸能楽書き帳】映画史に確かな足跡を残した“誇り高き職人”たちが相次いで逝った。

 肺炎のため、8月1日に87年の生涯を閉じたのは西村昭五郎監督だ。滋賀県で産声をあげ、京都大学を卒業後の1954年に日活に入社。いとこの吉村公三郎監督の紹介だったという。

 63年に「競輪上人行状記」で監督デビュー。小沢昭一さんが演じた競輪好きの住職の生きざまをコミカルに描いて評価された。その後、ジュディ・オング(67)や故山内賢さんらが出演した「涙くんさよなら」(66年)などを手堅く手掛けたが、西村監督の名前を一躍世に知らしめたのはやはり日活ロマンポルノで間違いない。

 斜陽化に伴い、71年に成人映画への路線転向に踏み切った日活が第1弾として発表したのが白川和子主演の「団地妻 昼下がりの情事」で、メガホンを取ったのが西村監督だった。以来、88年まで続いた同路線の主軸として計84本の作品を世に放った。

 ロマンポルノからは数多くの名作が生まれたが、「団地妻 昼下がりの情事」は間違いなく永遠に語り継がれていく。80年代、週刊文春に「糸井重里の萬流コピー塾」という人気連載があった。家元の糸井氏が出した「お題」に寄せられた作品を、家元が「松」「竹」「梅」で評価していく趣向だった。確か、「みそ汁」という「お題」の時に

 「団地妻 こぼれたおつゆ」

 と書いて投稿したら、「毒」というマイナス評価をもらった記憶がある。横道にそれたが、懐かしい思い出だ。

 さて、ロマンポルノといえば、2016年に45周年を記念してリブート(再起動)プロジェクトが立ち上がり、行定勲監督(49)や園子温監督(55)といった精鋭たちが新作を競作して話題を呼んだ。その際、西村監督の名前にも再びスポットが当たったのは言うまでもない。

 その西村監督が日活に入社した54年に、東宝は本多猪四郎監督の「ゴジラ」を発表している。この作品でゴジラの着ぐるみを着て大暴れしたのが中島春雄さん。その中島さんが8月7日に肺炎のため亡くなったという悲報が飛びこんできた。西村監督より1歳年上の88歳だった。

 50年に東宝に入社し、大部屋俳優として「太平洋の鷲」(53年)などに出演。この作品のアクションが気に入った本多監督から指名を受けて挑んだのがゴジラ役だった。ここから、72年公開の「地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン」まで12作品でゴジラを演じた。「名前がクレジットされずに悔しい思いもした」と筆者の取材に胸の内を明かしたこともあったが、誇り高い仕事人だった。

 ちなみに中島さんの後を継いだ薩摩剣八郎さん(70)も俳優志望で70年に三船プロダクションに入ったが、翌年、「君にぴったりの役がある」と勧められたのが「ゴジラ対ヘドラ」のヘドラだったという。複雑な思いを胸に隠しながら演じ始めたが、84年には晴れてゴジラ役に起用され、中島さん以後のスーツアクターの第一人者となった。こうした人たちがいてこその怪獣映画だ。

 西村監督、そして中島さん。ロマンポルノとゴジラのパイオニアとして2人の名前は永遠にファンの心の中で生き続ける。合掌。 (編集委員)

 ◆佐藤 雅昭(さとう・まさあき)北海道生まれ。1983年スポニチ入社。長く映画を担当。

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