「横綱相撲」という幻想との闘い 大横綱・白鵬へ

[ 2017年7月31日 09:26 ]

歴代最多の39度目の優勝を果たした白鵬
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 【笠原然朗の舌先三寸】大相撲の横綱・白鵬は、名古屋場所で元大関・魁皇の持つ通算勝ち星1047勝超えを達成。優勝回数も39回と伸ばした。

 まさに無人の荒野を行くが如し。詩人・高村光太郎が書いた詩「道程」の冒頭ではないが「僕の前に道はない。僕の後ろに道はできる」である。

 前人未到の記録をたたえる半面、その相撲っぷりについて横綱審議委員会(横審)などからクレームが聞こえてくる。

 「立ち会いの張り手はいかがなものか」「最高位に立つ者としてふさわしい相撲か?」など外野がかまびすしい。

 「横綱としてふさわしい相撲」とは何か?

 「横綱相撲」という言葉がある。「大辞林」によると「正面から相手を受け止めて圧倒的な力の差を見せつけて勝つこと」とある。

 お手本のような横綱相撲をとった力士は誰か?このあたりに「横綱相撲」という言葉が生まれたルーツがありそうだ。

 ここからは一好角家としての推察である。

 「横綱相撲」のルーツは、「角聖」とも呼ばれた明治の19代横綱・常陸山にあると思われる。

 幕内成績は150勝15敗131休22分2預。勝率は実に9割超え。身長1メートル75、体重146キロは。当時としては超巨漢の部類に属し、稽古で鍛えた体はナチュラルな筋肉質。いくつかの本の中で、その相撲っぷりについて「待ったはせず、相手の声でたち、十分にとらせてから勝つ」とある。当時の映像が残っており、YouTubeなどでみることができる。

 映像から見て取れるのは、相手十分の体勢で猛攻をかわして、かわして最後はねじ伏せる相撲っぷり。まさに横綱相撲である。

 以後、相撲史の中で強豪横綱として名前が挙げられるのは猛突っ張りで“史上最強”ともいわれる22代横綱・太刀山らがいるが、常陸山の「横綱相撲」を継承したのは「相撲の神様」、「昭和の角聖」とも呼ばれた35代横綱・双葉山だろう。白鵬もいまだ達成できていない69連勝の記録を持つ。

 待ったをせず、「後の先」の立ち合いを完成。強靱で軟らかい足腰を利して、勝利を重ねた。

 常陸山、双葉山に伝承された「横綱相撲」の次の担い手は48代横綱の大鵬。立ち会いに変化はせず、「きれいな相撲」のイメージがある。柔軟な身体を生かした相撲は「型がない」と評されたこともあり、相手の攻撃を吸収してしまうような相撲っぷりも見る者に「横綱相撲」と映ったのだろう。

 こうして「横綱相撲」というイメージがいまに伝わるに至る。

 時代を超えて共に「角聖」と賞された常陸山、双葉山だが、2人に共通するのは年2場所の時代を生きた横綱だったこと。常陸山にいたっては9割超の勝率をあげた一方で、休場は131。22引き分けに、2預かり。「預かり」とは勝敗がどちらかよくわからない場合の措置。ビデオ判定などない時代のものだ。

 常陸山はゆっくりと相撲をとり、十分に休んで40歳で引退するまで24年間の現役生活を全うした。

 年間6場所の時代の横綱である大鵬は32回の優勝を重ねる一方で、31歳で引退している。

 年間6場所は力士にとって過酷であり、弱くなって負ければ引退しか残されていない横綱にとって30〜33歳は「引退適齢期」ともいえる。

 双葉山以降で10回以上優勝した横綱に限っていえば、44代横綱・栃錦、55代横綱・千代の富士の35歳が引退“最高齢”である。

 大鵬に次ぐ「横綱相撲」の継承者である白鵬も32歳。3年後の2020年まで現役横綱として活躍することを目標としている。綱を張り続けるためには、日々衰えていく体力と気力との戦い、年に2、3回の優勝が求められる。白鵬の休場は出場98場所に対してたった58休。休まずに勝ち続けることも「横綱」の務めであり「大横綱」の条件なのだ。

 前人未到の道を行く白鵬である。

 相撲は実際にとっている本人しかわからない、と言ってしまえばそれまでだが、「あれもダメ」、「これはいけない」と必要以上に常陸山、双葉山、大鵬と受け継がれてきた「横綱相撲」という幻想にとらわれ、彼の相撲を評価するのはいかがなものか。相撲は武道における演武のように型を見せるものではない。

 「相手に応じて臨機応変、変幻自在の対応ができる」のが白鵬。これは「横綱相撲」ならぬ、それがさらに進化した「大横綱相撲」だろう。

 だからこそ「何でもありの闘神」と化した横綱に対し、なりふり構わずあの手、この手でぶつかっていく若手力士の奮起に期待したい。

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2017年7月31日のニュース