浅草ロック座「ママ」斎藤智恵子さん急死 たけし、勝新バックアップ

[ 2017年4月30日 06:00 ]

16年3月2日、浅草公会堂での単独ライブ後、控室で斎藤さんにキスをするビートたけし
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 ストリップ劇場の名門「浅草ロック座」名誉会長で、タレントのビートたけし(70)から「ママ」と慕われた斎藤智恵子(さいとう・ちえこ)さんが28日午後10時5分、胃がんのため都内の病院で死去した。90歳。宮城県出身。ストリッパーから裸一貫で経営者に転じ、全国にロック座チェーンを展開。興行界の実力者として、たけしや勝新太郎さんをバックアップした。

 芸能界の大物からも一目置かれた浅草の女傑が亡くなった。

 長男でロック座会長の斎藤恒久氏(69)によると、20日ほど前に食事が喉を通らなくなったため、病院で検査したところ胃がんと判明。胃に15センチほどの腫瘍ができていたが、本人が力を落とさないよう告知はしなかった。入院中も食欲は戻らず、徐々に体力が低下。最期は親族が見守る中、「うっ」と息を吐き眠るように亡くなった。

 「たけし軍団」のアル北郷(45)、お宮の松(43)が病床を見舞い、遺体が自宅に戻った後も2人と軍団のマネジャーが弔問に訪れた。入院前は大衆演劇に度々足を運び、自身が才能を見いだし育てた早乙女太一(25)の舞台を見るのを楽しみにしていたという。終戦前後を東京・向島で過ごし、36歳の時に「東八千代」の芸名でロック座の舞台に立った。その後、裸一貫で経営者に転じ、栃木県佐野市のストリップ劇場の営業権を獲得。努力と商才で、全盛期には全国約20カ所のロック座チェーンを展開させた。ところが、資金援助していた勝さんの「勝プロ」が81年に倒産。多額の負債を背負い、浅草ロック座以外の劇場を手放す羽目になった。

 数々の“女傑伝説”が残っており、左肩には刀傷もあった。千葉・船橋に進出した際に地元のヤクザから金銭を要求されたのを拒否し、寝込みを襲われた時の傷で「その時は痛いというより熱かった」と話していたという。

 たけしからは「ママ」と呼ばれ慕われた。浅草のストリップ劇場で修業していた時代から斎藤さんに憧れていたたけしが、90年代後半にテレビ関係者を介して会いにきたのをきっかけに親交が深まった。映画「座頭市」は、勝さんと親しかった斎藤さんが企画。03年のベネチア国際映画祭で銀獅子賞を受賞した際には、2人で授賞式に出席し喜びを分かち合った。

 恒久さんは「たけしさんのことが大好きで“あんなにいい人はいない”とよく話していました。たけしさんからも“ママ”と呼ばれ、うれしそうでした」と振り返った。また、衰退が続いていた浅草六区に、01年12月31日、大衆演劇の常設小屋「大勝館」を約20年ぶりに復活させるなど、浅草の活性化にも尽力した。

 ◆斎藤 智恵子(さいとう・ちえこ)1926年(大15)11月11日生まれ、宮城県出身。都内で日舞を教える傍ら、踊り子に振り付けていたところ「もうかるから」と誘われ36歳でストリッパーに転身。71年に浅草ロック座を購入、全国のロック座チェーンのオーナーに。03年に映画「座頭市」の製作に携わる。15年にロック座名誉会長に就任。

 ▽ロック座 東京都台東区浅草2丁目にあるストリップ劇場。1947年創立で、現存するストリップ劇場では最も古い。近隣のフランス座とともにストリップショーで一時代を築き、最盛期の94年には年間8億8000万円の売り上げを築いた。幕あいのコントは若手芸人の登竜門とされ、東八郎さん、ビートきよしらがステージを踏んだ。2009年にはグラビアアイドルからセクシー女優に転身した小向美奈子(31)が出演したことでも話題になった。

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