作曲家の曽根幸明さん死去 83歳、「圭子の夢は夜ひらく」「座頭市」

[ 2017年4月24日 05:30 ]

死去した曽根幸明さん
Photo By 共同

 歌手藤圭子さんの代表曲「圭子の夢は夜ひらく」などを手掛け、歌番組の審査員としてお茶の間でも人気を博した作曲家の曽根幸明(そね・こうめい)さんが20日午後8時1分、肺炎のため東京都中野区の病院で死去した。83歳。千葉県出身。葬儀は近親者のみで行った。後日、しのぶ会を開く予定。喪主は妻喜代美(きよみ)さん。

 関係者によると、3月から入院していたが、今月17日に危篤になったとの知らせが家族から届いた。18日には意識もかろうじてあったが、再び容体が悪化し20日夜に帰らぬ人となった。脳の疾患をきっかけに体調を崩して心筋梗塞、前立腺がん、敗血症などで15年間闘病していた。長女でシンガー・ソングライターの曽根由希江(31)は22日、自身のブログで「一度たりとも生きることを諦めない父は最期まで本当に強い人だった」と父の死を報告した。

 曽根さんは1959年、「藤田功」の芸名で歌手デビュー。その後、作曲家に転身した。「圭子の――」の他、勝新太郎さんの「座頭市子守唄」、水原弘さんの「慟哭(どうこく)のブルース」や青江三奈さんの「札幌ブルース」などを手掛けた。哀愁を帯びたメロディーから生まれた歌の数々は、夜の繁華街のエレジー(哀歌)としていまなお歌い継がれている。テレビ朝日「象印スターものまね大合戦」(67〜77年放送)で審査員を務めラジオの冠番組も複数担当。軽妙で穏やかな語り口からお茶の間にも知られた存在だった。

 ◆曽根 幸明(そね・こうめい)1933年(昭8)12月28日、東京都生まれ。戦後の混乱期、ケンカに明け暮れ、少年院に入ったことも。56年、ボクシングのプロテストに合格。59年に歌手デビューし、64年にフリーの作曲家として活動を始めた。代表曲の「夢は夜ひらく」は歌い手によって歌詞が異なっており、藤圭子さん版以外にも、園まり版が有名。喜代美夫人との間に1男1女。

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